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2013年2月27日 (水)

浜比嘉島にあるアマミキヨのお墓

アマミキヨのお墓

 

 

 

 護佐丸の墓を見た後、海中道路に車を走らせた。こちらまで来れば、浜比嘉島によりたい。浜比嘉大橋を渡ると、左側が比嘉、右側が浜集落となっている。

比嘉の集落は、沖縄の昔の集落の雰囲気が残っている。赤瓦の家、いまはセメント瓦になっている家が多いが、家の周りにはフクギがスクッと伸びている。

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訪れたのは、ちょうど旧暦1月16日。グソー(あの世)のお正月。石垣島、宮古島、本島北部はとても盛んだ。 浜比嘉島でも、比嘉の漁港は船がズラーと陸に上がっていて、漁は休みのようだった。

 

 漁港のそばの東方海岸にアマンジと呼ばれる岩屋の小島がある(上)。そこに洞穴を囲い込んだ墓がある。お墓は、写真のように、海沿いの小道を歩いて行く。この日は、潮が引いているけれど、満潮になれば、海水がひたひたくるのではないだろうか。Img_1523

岩を回っていくと、お墓がある。

地元では琉球開闢伝説で有名なアマミチュー、シルミチューの男女二神およびほかの神が祀られていると伝えられている。見るからに、古い古いお墓の雰囲気。

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 「洞穴墓の一種で、なかには赤土の上に白骨が散乱しているというが、1887(明治20)年頃および大正初期頃の工事で現在のように入口をふさいだ形式になったらしい」(『勝連村誌』、『沖縄の歴史散歩』から)。入口には、改築記念碑が立っているが、その時の工事の記念だろうか。

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 アマミキヨ伝説は、沖縄本島の久高島、玉城をはじめ本島北部まで各地に残っている。浜比嘉島は、ここから島の東南端に行くと、アマミチュー、シルミチューが住んでいた大きな洞穴がある。洞穴内には陰石があり、子宝に恵まれる霊石として、参拝されている。前に行ったが、今回は行けなかった。

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 このお墓では、毎年、旧正月の年頭拝み(ニントゥウウガン)には字比嘉のノロ(祝女)が中心となって島の人々多数が参加して、豊穣・無病息災・子孫繁昌を祈願している。また古くから各地からの参拝者が絶えない。信仰圏の広い貴重な霊場である。解説分に書かれている。Img_1528

墓の前に、ブロックを積んだ一角があり、「うちかびだけ」と書かれていた。沖縄では、お墓の前で、グソーの貨幣である「うちかび」を燃やす習慣がある。アマミキヨが住んだ時代は、貨幣はほとんど流通していなかったのではないか。でも、あの世で使うのだから、まあいいか。

 

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 海辺に立つ海水で足元が削り取られた岩を見ると、沖縄らしさをとても感じる。遠くに浜比嘉大橋がよく見える。

 

 

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