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2013年2月25日 (月)

瓦の発祥地、国場の瓦屋原

 琉球瓦の発祥の地が、那覇市国場の瓦屋原(カラヤーバル)と伝えられる。『国場誌』には、焼瓦の由来が記されている。

 『琉球国旧記』(1731年編)には、次のような記述がある。和訳の要約を紹介する。
 古老が伝えるには、昔、中国の人が沖縄に来て、国俗(気候・風土・人情・習俗)を慕い、国場村に住みついた。やがて、妻をめとり、子をうんだ。
 後に真玉橋(マダンバシ)の東で陶舎(焼物小屋)をつくり、瓦を焼き、資用(資材)にした。
 そのゆえに御検地帳(慶長検知、1610年)によって、琉球王府は、その土地を渡嘉敷三良にたまわった。これが我国(琉球)での焼瓦の初めである。
 その子孫は、今でも国場に住み、12月24日(旧暦)には祭品をおそなえし、紙を焼いて先祖をまつっている。Photo
              

 渡嘉敷三良(トカシキサンラー)が琉球に来たのは、少なくても1500年代前半で、さらに古老の伝えによれば、さかのぼるかもしれないという。
 

 渡嘉敷三良の子孫の家(上写真)が、いまも国場にあり、家を訪ねたことをブログで書いてある。

 瓦屋原と呼ばれるところは、国場村の南西、古波蔵との境にあり、一番高い丘陵地で真玉橋を前にした場所だとのこと。この付近は、瓦が焼かれていたので、昔は畑を深耕すると、黒い瓦片が出土したといわれる。037                    真玉橋

 三良の家が国場十字路に近いので、瓦を焼いたのはその付近と思っていたが、これを読むと、真玉橋に近いところのようだ。古波蔵との境と言えば、わが家に近い場所となる。

 琉球古典音楽に「瓦屋節」がある。
「瓦屋頂(カラヤチジ)のぼて 真南(マヘエ)向て見れば 島裏(シマウラ)る見ゆる 里や見らん」
 

 瓦屋の丘の上に登って、故郷の南に向かて見れば、生まれ育ったムラは見えるが、愛しい彼の姿は見えない。こんな歌意である。

 三良に見染められた女性には、夫がいた。だが、王命で夫と別れて国場に来て妻となったと伝えられる。女性は、豊見城村保栄茂(ビン)・翁長に住居していた。だから、故郷の南に向かって眺めて恋人を偲んだという。

 民謡では「瓦屋情話」がある。先の琉歌と、瓦屋の伝承をもとにした曲である。これは、すでにブログで紹介した。

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