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2013年2月12日 (火)

長嶺城への「返し」の拝所

長嶺城への「返し」の拝所

   上間の石獅子を見に行った時、上間中央公園(クワディーサーバンタ)の広場に、拝所があった。3個の石と3個の香炉がある。もとは3つの拝所は近接してあったけれど、崖の崩落などによって崩壊したので、公園の整備の時、一か所にまとめたものだ。
 この場には何も説明するものがない。『上間誌』で、この拝所の解説を読んで驚いた。
 向かって右側の拝所は、豊見城市嘉数の崖上にあった長嶺城への返し(ケーシ)で、向こうから上間へ戦を寄せてこないようにとの願いだという。南山勢に対する「返し」は、石獅子だけでなく、拝所まで長嶺城から災いがこないようにという「返し」だったとは。

Img_1276 上間・識名は、識名台地と呼ばれる高地にある。上間の前方、嘉数台地には南山側の長嶺城がある。上間は南山側に向き合う自然の要塞だった。琉球の「戦国時代」と呼ばれる三山時代のことだ。中山王を攻め落とし、南山、北山の制覇を目論む尚巴志(ショウハシ)は、この地の支配者、上間村の安謝名(アジャナ)に識名台地を守護させた。
 南山側にとって、首里城の前面に立ちはだかる上間村の安謝名は、首里城攻略のうえで大きな障害になっていた。識名台地を押さえなければ首里城へ兵を進めることはできない。長嶺グスクと上間は指呼の間にあり、長嶺グスクの兵の動きは上間の物見台から肉眼で監視できるほど間近である。写真の向こうに見える高台に長嶺城跡がある。南山側の豊見城軍にとって、目の上のこぶ安謝名を打ち亡ぼし、識名台地を手中におさめ、尚巴志の南進を阻止したかった。ひいては首里城攻略の足がかりにしたかったのであろう。

Img_1278
          上間の前方にある嘉数台地


 いつのころか定かでないが、女性がご馳走を作り遊楽するお祭り「三月遊び」の日に、突如豊見城軍が上間に押し寄せてきた。おそらく三山分立の時代のころと見られる。
『上間誌』は、その時の伝承を古老から聞き取り、掲載している。
「その日、上間は三月遊びの当日で道ズネーイ(歌い踊りながら練り歩く)して行進していた。子どもから年寄りまで歩ける者は皆、全女性が道ズネーイに参加していた。チジンとタイコで歌踊りをしながらいつも通り何事もなく順調に道ズネーイは進行し、クワディーサーバンタに近づいた。道ズネーイも終番(盤)になり、行列はいやがうえにも盛り上がって歌や踊りが最高潮に達していた。丁度その時、サーターヤービラ(南斜面の旧道)から上がってきた豊見城(南山勢)の軍勢と鉢合せた。
 当時(三山時代)、上間は有力者安謝名が首里城の南の守りとして南山勢に目を光らせていた。豊見城軍は安謝名を撃たんとして上間に攻めてきたのか、あるいは一挙に首里城まで攻めほろぼそうとしたのか、とにかく女子等はとっさの判断で行く手を塞いだ。
 当時のサーターヤービラは農道で道幅も狭く、しかも登りきった村の入口は割取い(ワイトゥイ)になって道の両脇は土手になっていた。豊見城軍は先頭の行く先を押し止められ身動きができない状態に陥った。豊見城軍は『おんな、子どもに手はかけられない』といってそのまま引き返したという」


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          上間中央公園(クワディーサーバンタ)  


 上間の三月遊びでは、女性の棒踊り「ハイファー棒」が踊られる。この踊りは、豊見城軍が攻めてきたとき、女性たちが真っ先に立って、敵方の進路を遮り、気勢をあげて味方の軍勢を声援し、敵方は勢いを削がれて攻撃を止め退いたという故事に因んで行われるようになったといわれている。
 一時、明治40年頃学校から行事の禁止令が出て三月遊びを中止した。ところがその年疫病がはやり、若者が次々に死亡した。これは行事を止めた天罰だと、協議の結果、上間の三月遊びは豊見城の軍勢を阻止した歴史的な由緒ある行事だから止めてはいけないとして復活したそうである。
 拝所の話に戻る。3つの拝所の中央は、上間の村を守る「ジーチヌカミ(土地の神)」で、サジャカイ(授かるの意で神を斎き祀る者)の拝所である。左側は、「クサンの御獄(ウタキ)」。東御廻り(アガリウマーイ)、米の発生地(三穂田)への御恩感謝のお通し(『上間誌』)だとのこと。つまり、お米の恵みへの感謝と豊作への祈りを込めて、米の伝わったと言われる発生地に向かって祈願するのだろう。
 それにしても、石獅子だけでなく拝所まで、戦による災いを避ける願いが込められているのは、初めて見た。このように石獅子も拝所も、戦がらみの「返し」というところに、上間の置かれた地勢や歴史的な背景がうかがえる。

 以上、大半は『上間誌』の要約である.

追記

 長嶺按司は、尚巴志の南山攻めの時は、中山側に加勢したそうだ。

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