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2013年2月13日 (水)

立派な井泉・上間ガー

立派な井泉・上間ガー
 

   上間は高台にあるが、井泉が9つもあるという。そのうち、公民館近くに上間ガー(村井、ムラガー)を見た。共同井戸とも呼び、飲料用井戸、洗濯ガー、小堀(池)からなる。

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 『琉球国旧記』『遺老説伝』に次のような逸話が載せられている。
 この井戸の北側に、聡明で容貌も人一倍すぐれて、みるからに上品な若い女性が暮らしていた。女性は井戸へ水汲みに行いっていた。王様がこの地を通るたびに見かけて、思いを寄せ、城中によんで妾にして可愛がった。「真嘉戸樽按司」(マカトタルアジ)という号まで付いたので、この井戸は「真嘉戸川」(マカトカア)というようになり、さらに「真川」(マガア)と改名したという。『上間誌』はこの真川が上間ガーだとしている。
 また、大元屋の一つ、外間家の娘マカトラヌアンジが井戸を掘り当てたため、「上間マーカーガー」(真川井)の名前がついたという伝承もあるそうだ。
 上間ガーは、水質、水量ともよく、上間のほぼ全世帯をこの井戸一つでまかなったという。村井は生活用水を供給するだけでなく、一種の社交場であり、村人の心のよりどころでもあった。産湯も村井の水を汲んで沸かしたという。
 
 

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 不思議なのは、上間は高台にあるのに、水が豊富なことだ。『上間誌』は、その理由は地域の地質にあるという。
 本島中南部の地質は、琉球石灰岩層だが、風化を免れた琉球石灰岩層は高所に残って台地を形成する。上間のある識名台地もその典型。琉球石灰岩層は、小さな空洞があり、降雨が浸透して空洞に溜まる。石灰岩の下部にある泥岩(クチャ)は水が浸透しないので、
 石灰岩層はさながら水タンクのようになる。それがゆっくり染み出し、泥岩の表面を伝わって流れ、水脈をつくる。井戸を掘り、この水脈に当たれば井戸になるという。
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 井戸のそばに大きな池がある。村小堀(ムラグムイ)と呼ばれる。上間ガーから流れた水や洗濯水を受け止め、防火用水や馬、野菜を洗うのに利用した。雨水を受け止め、水量を調節して洪水を防止する役目もあった。各地で井泉を見たけれど、これほど大きな池は、沖縄本島では見たことがない。
 上間ガーの小堀は、青年会が管理し、年1回、青年会総出でクムイサレーイ(池の浚渫)が行われ、周囲から流れ込んだ土砂をかきだしたという。
 『上間誌』は、字誌としてよくまとめられているので、読んでいてとても興味がわく。以上の記述も、ほとんど同誌からの紹介である。

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