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2013年2月24日 (日)

国場発祥の地の御獄

 JA真和志の農協まつりが国場支所で開かれた。まつりのついでに、支所の裏側にある拝所を見学した。

 「下国場ノ獄」という立派な建物になっている。珍しく燈篭が両側に並んでいる。Photo
  国場には二つの御獄(ウタキ)があり、その一つがこの御獄だ。通常は「前ヌ御獄」と呼ぶ。毎年3月、8月に4度の祈願をする。
 ここは、国場発祥と地とされている。
 国場の最大、最古の門中(ムンチュウ、男系血縁組織)の城間門中は、もともと13世紀に琉球の開闢の祖といわれるアマミキヨの子孫が、玉城ミントン(明東城)から移り住んだと伝えられる。当初、この支所の場所に住んだという。城間家が国場集落のニーヤー(根屋)になる。

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国場の地名は、窪地という意味からきているようだ。国場川沿いにある。Img_1414
 御獄のそばには、二つの井戸があった。「火神御井」「御願小御井」の碑が建てられている。そばにいたおじいさんに聞くと、「火ヌ神はその向こうにあるよ」と言ったが、見れなかった。二つの井戸が並んでいるのは、珍しいかもしれない。

Photo_2
 もうひとつ、御獄のそばに小さな拝所がる。「これは大里に向かって御願するところだよ」とおじいさんが教えてくれた。なぜ「大里」なのか。

 「国場の高いところには、今帰仁に向かって拝むところもある。中国に向かって拝むところもあるよ。中国まで行けなかったからね」と説明してくれた。

 御獄と国場の由来などは『国場誌』を参考にした。この本によると、別の場所にある拝所は「今帰仁世」「百名世」「大里世」「東世」「登野城世」など合祀されている。

 沖縄には、各氏族の祖先の生活していたと信じられるところを参詣する「霊地巡り」の習慣がある。「民族祖に関する霊地は、主に本部・知念・玉城に多く、ここへの参詣を俗に『東り巡り』又は『島尻拝み』」などと呼ばれている(『国場誌』で引用された『島尻郡誌』)。

 今帰仁は、尚円王の生まれた島を遙拝するところなので、ここへの参詣を「今帰仁拝み」と言っているそうだ。

 昔は霊地巡りはとても盛んだった。遠くまで行けなくても、霊地の方向に向かって御願するために、遙拝所がある。

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