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2013年2月 7日 (木)

南部最大の城壁を誇る糸数城跡、その2

上間按司の糸数城攻めについて、『上間誌』から紹介する。
 尚巴志が中山王を攻め落とし、首里城を再構築し、琉球統一の準備に取りかかった。上間・識名は、南山側に向かい合う自然の要塞であり、尚巴志にとっても軍事上きわめて重要な地であった。上間の前方嘉数台地には南山側の長嶺城があり、玉城間切糸数城ではグスクを増強していた。Img_1278

 
 

識名台地の支配者、上間村の安謝名(上間按司)は察度王(尚巴志に滅ぼされた)の血筋ではあったが、尚巴志はこれを討たず、むしろ味方に引き入れ、識名台地を守護させた。「上間は中山の武将安謝名(子)の本拠地であったゆえ、村人も幾多の戦場にかり出された」とのべている。                
 上間按司は「中山尚巴志の大将として糸数グスクを攻めた」という。つまり、上間按司は単なる按司の勢力争いではなく、あくまで尚巴志の精兵として、三山統一に向けて、南山の有力な按司であり、重要な拠点だった糸数城、玉城城を攻め滅ぼしたということになる。そう考えれば、とてもよくわかる。
 糸数城を攻め落とした後、糸数親雲上(ペーチン、下田門中の先祖)が糸数グスクの監守として派遣されたという。

Img_1275
    南部の島尻地方を前に見て長めの美しさを詠んだ「栄え行く上間」の歌碑 
 実は、まだ上間の地を訪れたことがなかった。ブログで紹介するうえで、急きょ訪ねてみた。上間は台地の頂上部にあり、国場川を挟んで南部の豊見城から南風原、さらに八重瀬町、南城市まで一望にできる絶景の地である。ただ、琉球の三山分立の時代は、南山と最前線で対峙する軍事的な要衝であったことがよくわかる。しかも、台地の南側は「バンタ」と呼ばれる急傾斜の崖になっており、南部からの攻勢を防御する自然の要塞のような地形でもある。
 この崖の頂上部にあたる場所に、いまも村の守り神といわれる石獅子が、2カ所(3頭)で南部に向かって建っている。その説明でも、「上間は南山勢との戦さに何度も参戦した」と記されている。

Img_1282 糸数グスク、玉城グスクの「悪風返し」とされる夫婦の石獅子
 そのうち「ミートゥンダ」と呼ばれる夫婦の石獅子は、糸数グスク、玉城グスクに向かっている。それは、糸数グスクを攻めたので、怨念が悪霊となって上間に寄せてくるのを押し返す「悪風返し(フーチケーシ)」だと言われる。上間按司が糸数グスクを攻めた歴史が、こんな形で今も残っているのだ。

 

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