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2013年3月 9日 (土)

琉球競馬・ンマハラセー70年ぶりに復活

 沖縄には、王府時代から続く「ンマハラセー」と呼ばれる琉球競馬があった。県内各地を回ると、「馬場」と呼ばれるところが、あちらこちらで見かける。でも、いまは、まったく競馬らしいものはない。なぜだろうか、と前から疑問になっていた。それがやっとわかった。それは、かつては、ンマハラセーが盛んだったことの名残である。

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 70年ぶりにウマハラセーが復活した。見には行けなかったが、新聞、テレビでその模様が伝えられてわかった。
 琉球伝統競馬は、世界に類を見ないスタイルの競馬だ。普通は、競馬と言えば早さを競うレースだが、どちらかと言えば、オリンピック競技にもなっている乗馬のような感じ。

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 乗る馬に飾りを施し、走りの優美さを競う。ウマハラセー(馬走り)、ウマスーブ(馬勝負)、ウマジュリー(馬揃、馬寄)とも呼ばれた。2頭の馬で競った。馬は、沖縄在来の小型の馬だ。

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 馬の走りは、通常は斜対歩(左右対称の走法)で走るけれど、ンマハラセーでは、右の前後の足を同時に繰り出し、その後、左の前後の足を同時に送り出す「側対歩」と呼ばれる独特の走り方で行う。Img_1642


 「速さの代わりに細やかな脚の運びで美技を競うウマハラセー。独自のスタイルは、美を重んじる琉球士族の精神性が生み出したものだろう」。『消えた琉球競馬』の著者、梅崎晴光氏は、こう評している(「琉球新報」3月1日付)。

 沖縄こどもの国で、3月2,10日と2回にわたって行われた。競馬用の馬場は、昔は沖縄本島だけでおよそ100か所もあったという。かつては、村祭りのようなにぎわいで、遠くでも歩いて見に行った。自分の集落の馬やおなじ門中(ムンチュー、男系の血縁集団)から馬が出ると、応援にも力が入ったそうだ。

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 なぜ、競馬がなくなったのか。そこには戦争の影がある。戦前、軍馬に適した大型改良馬を生産するため、数え年3歳以上の在来牡馬は去勢された。競争馬は激減していった。1939年以降は、残っていた馬場も軍馬の鍛錬場に代わり、1943年、最後の馬場がなくなって、琉球競馬は消滅したという。梅崎氏の記事を参考にした。画像は、「琉球放送」のテレビ画面から使用させてもらった。

 70年ぶりに復活したンマハラセーの灯を消さずに、これからも続けてほしいものだ。

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コメント

 梅崎と申します。ンマハラセー(琉球競馬)をご紹介いただき、ありがとうございました。琉球競馬の名馬ヒコーキの蹄跡を追いかけた拙著「消えた琉球競馬 幻の名馬ヒコーキを追いかけて」(ボーダーインク発行)もご覧いただければ幸いです。

梅崎さん、コメントいただきありがとうございます。
「琉球新報」の梅崎さんの記事を勝手に使わせていただきました。
「ウマハラセー」の記事で、「美を重んじる琉球士族の精神性が生み出したものだろう」「琉球文化全体に一貫するもの」と書かれていることに、とても感銘を受けました。大和の競馬担当記者でありながら、ウマハラセーを通じて、琉球文化の神髄まで、深めて考察されているからです。
 著書をぜひ読ませていただきます。

 ありがとうございます。私もレキオアキアキさまのブログ「島唄アッチャー」を興味深く読ませていただいております。

梅崎さん。ブログ読んでいただきありがとうございます。
沖縄の島唄、歴史にふれながら、ウチナー肝心(チムグクル)を少しでも発信できればと思っています。

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