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2013年3月15日 (金)

首里・崎山町を歩く、その2

崎山樋川(サキヤマヒージャー)の先に、崎山御獄(ウタキ)が見えてきた。まてよ、前に見たときと随分、風景が違うぞ、と思う。それもそのはず、数年前はデイゴの巨木に囲まれていたのに、デイゴは根本からバッサリ伐られていた。害虫のヒメコバチにやられたのだろうか。拝殿にあたる門の裏側が、御獄になるだろう。金網で囲われて立ち入れないようになっている。でも神聖な御獄は、丸裸の状態で、露出して太陽にさらされていた。神が降りてくる御獄らしい雰囲気が壊されている。害虫の影響とすれば、残念なことだ。Img_1711

崎山御獄は、旧崎山村の御獄(拝所)で、王府時代は、高級女神官であった首里大阿母志良礼(オオアムシラレ)が祭祀をつかさどった。境内は、琉球が三つの小国に分かれていた三山時代、中山王だった察度(サット)王の子であった崎山子(サキヤマシー)の屋敷跡だったといわれる。古い瓦が出土するとして知られている。

                           

 

Img_1714


 門の形をした建物は、拝殿にあたる。もとは、木造の瓦葺きだったのが、1865年石造切妻型のアーチ門に改造された。だが、沖縄戦で破壊され、コンクリート造りで再建された。前に来た時は、祈願をする人たちがいた。

このあたり一帯は、崎山公園として整備されている。眺めがとてもよい。

Img_1721
 

 

 

 一角に「東姓拝所」の石碑が建てられていた。説明文はない。どうやら一世東開極・東風平親方政真を元祖とする首里士族、東氏一統の拝所のようだ。門中(男系血縁組織)の間では、三山分立時代、中山王察度王の末裔という言い伝えがある。また波之上宮を建立したと伝わる崎山里主の末裔で、崎山里主は察度王の息子という伝承がある。Img_1722

崎山公園の入り口にあたるところに、崎山遺跡がある。ネットのかかった巨岩の根元部分に説明板がある。旧石器時代の遺跡で、鹿や角の骨が発見されたという。
 
 こんな高台に何故遺跡が、と思いがちだが、湧水が豊富だったというから、古代人が住むのに適したのだろうか。Img_1727


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