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2013年3月18日 (月)

首里・崎山町を歩く、その4

首里王府の別邸、御茶屋御殿
 崎山町といえば、首里王府の別邸だった御茶屋御殿(ウチャヤウドゥン)の跡がある。前に見たので今回は、行かなかったが、由緒ある場所なので、ブログを再アップしておく。
                             
 崎山御獄を少し南に歩いて行くと公園の一角に、大きな石造獅子がデーンと鎮座していた。
 1677年に造られた王府の別邸、御茶屋御殿にあった石造りの獅子だ。とても大きく迫力がある。驚いたことに、この獅子は、前に見た八重瀬町富盛(トモリ)の石獅子と関係があるという。富盛の獅子は、火事が多かったため、「火の山」と見られた八重瀬嶽に向かって獅子が置かれていた。この首里の獅子も、火難をもたらすと考えられていた富盛の八重瀬嶽に向けられていたという。御殿を火災やその他災厄から守る獅子だった。059



 この場所にもともとあったのではない。御茶屋御殿跡は、現在は首里カトリック教会の敷地となっており、もとはそこに置かれていた。でもがけ崩れの恐れがあり、いまの場所に移したという。057



 すぐ近くに、雨乞御嶽(アマグイウタキ)がある。雨乞いの祈願をする御嶽(ウタキ、拝所)は、複数あるらしいが、ここはとても由緒あるところだ。
  なにしろ大干ばつに襲われたとき、国王みずからが神女を従えて、雨乞いの儀礼をおこなったという。
   低い石垣が円形にぐるっと築かれ、丸く囲んで区域が聖域とされ、石敷きの壇に香炉が設けられている。こんな円形の御嶽は見たことがない。珍しい。
 このあたりは、崖の上に位置し、眺望が素晴らしい。那覇市内から遠く慶良間諸島までよく見える。いよいよ御茶屋御殿だが、その前に、いったい御殿はどういうものだったのだろう。
 琉球は、中国の皇帝につかえるとともに、薩摩に侵攻されその支配下にあった。御殿は、薩摩の使者や中国から琉球国王の任命のためにやってくる冊封使(サッポウシ)をもてなすための別邸(離宮)である。001

  1677年に、時の尚貞王が造営させた。また、国王が芸能奨励のため、家臣の茶の湯、立花、囲碁、音楽、舞踊、武芸を照覧されたところだという。首里城、識名御殿とともに、王朝文化の華を咲かせたところである。
 御殿があったあたりは、眺めがとてtもよいから別邸を造ったのではないだろうか。
 上写真は昭和前期に田辺泰氏が撮影したという御殿だ。正面から見たもの。
 沖縄戦によって焼失、破壊され、もちろん今はない。しかも、戦後、首里カトリック教会がこの地を取得し、教会の敷地となっている。だからまるで面影はない。

   

063


 教会の前まで歩いてきた。「さて、御殿跡は、この教会の敷地だと云うが、勝手に入っていいのかなあ」と立ち止まっていた。ちょうどその時、そこにいたおじさんが声をかけてきた。「御茶屋御殿跡を見るのだったらこちらだよ」というと、何も返事もしない間に、もうすぐに先に立って案内をしてくれた。敷地に入るとすぐに「このあたりは沖縄戦で亡くなった方の死体がたくさんあったんだよ。その骨を埋めた場所だ。だから、だれもこの土地を欲しいという人がいない。それで教会が買ったんだよ」。


062



 由緒ある場所がなぜ教会の所有地となったのか、その理由を解説してくれた。
 「ここが御殿の跡地だよ」と案内してくれた場所には、標柱が立っていた。 案内板もあった。すぐ側に、御殿の拝所があった。
御殿跡の場所からの眺望には、意味があるという。石獅子のある場所からは、海がよく見えたが、御殿跡からは海ではなく、南部一帯の豊見城市、南風原町あたりがよく見える。
 おじさんが説明する。「このあたりからの眺めは海が見えず、昔は畑や田んぼが広く見えた。中国の冊封使なんかに、琉球は見渡す限り陸地で、海も見えないほど広いことを示したんだよ」。なるほど。
 そういえば首里王府のもう一つの別邸と庭園がある識名園(シキナエン)でも、同じような海が見えず、陸地が広がる眺望の場所がある。そこでも同じ説明を聞いたことがあるのを思い出した。冊封使は中国から船にのって来るから、琉球が島国であることは重々知っているのに、こざかしい知恵も使ったものだ。
 

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首里の古地図をのせておきたい。分かりにくいが、一番下に突き出したような場所が、御茶屋御殿である。細かく仕切られているところは、士族の屋敷である。親方(ウェーカタ)や親雲上(ペーチン)をはじめ王府の高い位階の士族や「アムシラレ」という王府の高級神女の御殿などもある。
 首里城などは復元されたが、この御茶屋御殿は破壊されたままだ。御茶屋御殿の復元を求める声も強い。
 それにしても、おじさんが案内してくれなければ、とまどっただろう。おじさんのおかげで場所のすぐわかり感謝!感謝!である。

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