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2013年3月14日 (木)

首里・崎山町を歩く、その1

 音楽仲間が集うアルテ崎山で、Tさんから「崎山は王府の時代、聖地の斎場御獄(セイファーウタキ)などに行く際は、首里城の継世門を出て、崎山を下りて与那原方面に行ったんですよ。昔の古道がありますよ」と教えてもらった。
 
 先日、アルテに行ったついでに、この古道を通って崎山を歩いてみた。

 県道82号線から、急坂の古道を登る。案内板は出ていないが、細い道だけれど、とにかく曲がらずに一本道が伸びているので、旧街道らしさがわかる。坂を登ると、高台の街並みに出た。Img_1700 首里城の南東に位置する崎山町は、隣の鳥掘、赤田を加えて「首里三箇(シュリサンカ)」と呼ばれる庶民の街だったとか。昔は竹に囲まれた家々のたたずまいで、ひなびた村の趣があった。首里八景の中で「崎山竹離」(サキヤマチクリ)と詠まれたそうだ。Img_1703_2

崎山ギャラリーと名付けられた通りに出た。「歴史散歩の道 ビジガービラまーい」の案内板が立っている。並木道には、野外の彫刻が置かれ、散歩にはとてもよい道だ。

昔は村の中に、王家御用の馬場「崎山馬場」が東西に延び、馬術訓練が行われた。その様子を王様が見るために出たときは、この附近が御桟敷(ウサンシチ)になった。崎山公民館の前に、立つ崎山馬場御桟敷跡の案内板に書いてあった。

Img_1702

 崎山馬場ギャラリーは、彫刻が数メートルおきに置かれているが、具象彫刻もあれば、抽象的な彫刻もある。サガリバナの並木があり、黄葉していた。

Img_1731


このあたりは由緒ある史跡、拝所がいくつもある。崎山は高台にあるけれど、少し窪んだ平地になっていて、水が豊富な土地で、かつては泡盛製造所の一大産地だった。いまは、瑞泉酒造だけになっている。瑞泉酒造は、ツタがからまった建物で、昔からの酒造所の雰囲気がある。沖縄に移住してきた時、「青龍」という泡盛が、品評会で賞をもらったので、よく買って飲んだ。すっきりした飲み口でよい泡盛だった。

 

 瑞泉酒造の角を曲がり進むと崎山公園に出る。その手前に崎山樋川(ヒージャー)がある。水は少し溜まっているが、樋からはいま、水は出ていなかった。

Img_1708

王府時代は、良い方角(恵方)が巳(ミ、南南東)に当たる年には、元旦に王様に献上する若水が汲まれた。年中行事のおりに、高級女神官であった首里大阿母志良礼(オオアムシラレ)が参詣したという。

崎山は水が豊富だという一方で、ここから少し南に、干ばつの時に王府が雨乞いの儀式をしたという雨乞い御獄がある。干ばつになれば、湧水も枯れたのだろうか。

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