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2013年3月21日 (木)

真珠道の識名坂を登る

 首里城から南に行く幹線道路として、真珠道(マダマミチ)がある。                 

 

 首里城守礼門の東南脇の石門を起点として、有名な金城町の石畳道を下り、首里・識名台地の間を流れる金城川を越えて、識名坂(シチナンダビラ)を登り、南下して、真珠湊(国場川河口、那覇港)に至る約4㌔㍍の石畳道である。この道路の建設は、15世紀の尚真王代(1477-1526年)の重要な土木事業だった。軍事的な目的があったと聞く。Img_1847

 真珠道の金城川に架かる橋が金城橋(カナグスクバシ)。橋の創建時は不明だが、1677年に木橋から石橋に架け替えられた。1809年に洪水で損壊し、翌年もとの位置から少し下流に移して再建された。
 
 橋のたもとに「重修金城橋碑文」の石碑が建てられている。沖縄戦でこの橋も石碑も破壊されたので、戦後に再建されたのだろう。

 写真の金城橋を渡ると、道路がのびている。識名台地に登る急坂である。この坂が識名平。坂のことをヒラというが、ここの説明文は「識名平」となっている。かつては、松並木の続く石畳の坂道で、王家の別邸、識名園に通じていた。首里から島尻方面に至る幹線道路の一部だった。Img_1852


 この付近は、かつて金城川をさかのぼって船の往来があったという。いま見ると、ここまで船が入ってきたとは、信じられないくらいだ。

その昔、川に身を投げた夫婦の怨念が人魂となって、坂の上から川岸まで漂うという「識名平の遺念火」の伝承が残っている。

  識名坂を登ると高台に出る。識名台地である。ここから、南に向けて「メーミチー」(前道)がのびている。真珠道の一部となる。
 
 このあたりは、繁多川(ハンタガワ)地域である。

Img_1867

メーミチー沿いには主要な井泉が多いこともあって、昔から地域住民の生活に密着した道だったという。水汲みや野菜洗い、洗濯など朝夕、井泉に通う人が多かったのだろう。同時に、首里から島尻方面に至る幹線道路だから、他の地域の人たちの往来も多い道だった。
 案内板にあった昔の写真を見ると、メーミチーの往時がしのばれる。

Img_1850

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