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2013年3月31日 (日)

首里の弁ケ岳を訪ねる、その1

 

                       

 

 首里城の近く、東方約1キロ㍍にありながら、まだ一度も行っていなかった弁ケ岳(ベンガダケ)を訪ねた。海抜は165・7㍍で、沖縄本島中南部では、最も高い峰の一つです。そのため、かつては航海の目標ともなったそうだ。 いまは「弁ケ岳公園」となっている。もっとも高い峰といっても、首里城方面から来れば、小山の感じだ。
 地図では、峰を指す場合は「弁ケ岳」と記されている。でも、古くからある拝所は「弁ケ嶽」である。一般に「ビンヌウタキ」(弁ヌ御獄)と呼ばれる。峰全体がご神体とされていた。戦前までは、琉球松などの大木が茂っていたそうだ。

Img_1911

いまは車で、公園内を通り抜けることができる。あっけないほどだ。もともとは、下方から参詣道があり、歩いて登ったようだ。石畳道が整備されていて、散歩にはもってこいの道である。 参詣道を歩いて登ると、東側の小高い杜になっている方が大嶽(ウフタキ)、西側の低い方が小嶽(キタキ)となっている。Img_1912


 『琉球国由来記』(1713年)によれば、大嶽の神名は「玉ノミウヂスデルカワノ御イベヅカサ」、小嶽は「天子」(テダコ)と記されているとのこと。
「神仙が降りきて遊ぶ聖地である。聞得大君(キコエオオギミ)や君々、神仏がお遊び(共宴)するところ」といわれた。「琉球国の諸峰に冠するので、冕(ベン)嶽と号す」という。冕は冠のことである。比嘉朝進著『沖縄の拝所300』はこのように紹介している。


 

Img_1894

王府時代には、1、5、9月にここを国王が訪れて、祭祀が行われた。

小嶽からは、聖地とされる久高島・斎場御獄(セーファウタキ)を遙拝する。

Img_1901
比嘉氏は、1644年から国王の1、5、9月拝みが始まったが、「斎場御獄への遙拝はおそらく、東回イ(東御回り=アガリウマーイ、南部の聖地を巡礼する)を中止した1673年(尚貞王)からではないだろうか」と推測している。
 参詣道より西側の小高い丘の上にある、石垣をコの字形に積んで簡略な拝所が小嶽である。神名が「天子」だという。さらに西に向かうと、いくつもの拝所がある。Img_1903

 ひときわ目を引いたのは、赤い鉄柵のある拝所である。中を覗かさせてもらうと、5つの石が並べてある。その上に、名前が書かれていた。よく見ると、歴代の王統の初代国王の名前だ。右から、尚思紹王、英祖王、舜天王、察度王、尚圓王と記されている。
 

Img_1905
 琉球は、王統が何度も交代している。とくに、琉球が三つの小国に分かれていた時代、中山国の察度王統は、尚巴志によって倒され、父の尚思紹が王に就いた。尚巴志が三山を統一した。第一尚氏の王統である。それが、クーデターで倒され、金丸が王位に就いて、尚圓王となった。

Img_1904

 この拝所に書かれた名前は、そんな易姓革命による王統交代など、関係ないかのように、国王名が並ぶのは、不思議な感じがする。こんな5つの王統の国王の名前を列挙した拝所なんて、見たことがない。不思議だ。

Img_1906

 香炉には「上赤嶺門中」と書かれている。どうやら、男系血縁集団である「門中(ムンチュウ)」の拝所のようだ。その他の拝所は、何を祀っているのかよく分からない。

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