無料ブログはココログ

« コンサートのハシゴという新体験 | トップページ | 「屈辱の日」式典に抗議うずまく »

2013年4月26日 (金)

盗んだ神を祀った御獄があった

 隣の島から神を盗んで村の御獄(ウタキ)とした。こんな驚くような話にであった。大城公男著『八重山 鳩間島民俗誌』を読んだときである。

鳩間島のヒナイ御獄という拝所がそれである。『琉球国由来記』に友利御獄とともにその名がのっている古い御獄だという。
 
 琉球王府時代のことだ。鳩間島の住民が、西表島の御獄から盗んだという伝承があるそうだ。なぜ、神を盗まなければならないのか、神を盗むとはどういうことだろうか。伝承は、次のような内容である。

海向かいの(西表島)ヒナイ村は雨がよく降り、作物がよく実った。鳩間島の人々はそれをヒナイ村の人々の拝む神のお陰だと考えた。そこで鳩間島の人々は、ヒナイ村の人々に彼らの拝む神を勧請(カンジョウ)させてほしいとと頼んだ。ところがヒナイ村の人々は、一言の下にその要望を拒否した。それでも鳩間島の人々は諦め切れず、一計を案じた。神を盗みだすことを計画したのである。

通事家と加治工(カジク)家の男たちが選ばれた。二人はヒナイ村の海岸に舟を着け、こっそりと御獄に近づいた。ところが、ヒナイ村の人々に見つかってあっさり追い返されてしまった。次に二人は夕方舟を出し、……夜陰に乗じてヒナイ村の御獄から香炉の灰を盗み出した。それから男たちは大急ぎで舟をこいで返し、島に着くと海岸近くの木の陰にその灰を置いた。そこがこの御獄の最初の拝所となった。

大城氏は、この神を盗んでたてたヒナイ御獄をつくったのは、他の島からの移住者だったと見る。

移住者はすでに村を守護する神を祀っていたが、それは祖先神であった。信頼する神以外に、雨の神・豊穣の神を必要とするようになっていた。新村の人々は、彼らの消費する量をはるかに超える生産高を求められていた。人頭税である。この政策が彼らの上に重くのしかかり、他に救いの神を求めたのである。こうして第二の御獄、ヒナイ御獄は建てられたそうだ。

1701年から1703年にかけて黒島から鳩間島に百姓の移住が行われた。2回に分けて、合わせて150人を超える人が移住した。移住によって鳩間島の人口はいっきに4倍か5倍になったという。


 
 

鳩間島から、米をつくるため西表島の北岸に海を渡って通っていた。

重い人頭税を完納するためには、豊作、豊穣は切なる願いである。「雨の神・豊穣の神」をなんとしても必要としたのだろう。神を盗むという破天荒な行為の背景にも、人頭税による先島の百姓たちへの過酷な徴税があったのだ。

この本の著者は、鳩間島に生まれ、教育者として県立首里高校校長を定年退職したあと、東北大大学院前期博士課程を修了。すでに島外に出た住民からも聞き取りして本書をまとめたという。労作である。とくに、村の成り立ち・変遷と御獄の由来や神役の継承など祭祀の形態と組織を詳細に記述されている。

« コンサートのハシゴという新体験 | トップページ | 「屈辱の日」式典に抗議うずまく »

旅行・地域」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1384216/51389082

この記事へのトラックバック一覧です: 盗んだ神を祀った御獄があった:

« コンサートのハシゴという新体験 | トップページ | 「屈辱の日」式典に抗議うずまく »

最近のトラックバック

2017年4月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30