鳩間島の名前の由来
鳩間島の名前の由来について、興味がある。大城公男著『八重山 鳩間島民俗誌』(写真)から紹介したい。
かつて鳩間島に多数生息していたことに由来するという。鳩は穀物を主に食べる。島で鳩が急速に増えたのは、人が住みつき畑をつくるようになってから。人頭税時代には、鳩間島から西表島の北岸一帯に出かけて稲作をしていた。鳩も稲を目指して海を渡っていたそうだ。
首里王府の八重山統治が進み、役人が島にやってきたとき、鳩の多い島という印象をもったのが島名の由来と推測している。ただ、鳩は現在、島にいない。それは島の人口が激減し、畑も田も作らなくなったからだという。 たしかに、鳩は自然のなかにいる野鳥というよりは、人の住む周辺にたくさんいる鳥だ。人が少なくなり、鳩がいなくなったとは、なんか寂しい感じがある。
鳩間島の名前の由来は、確証されているわけではない。でも、鳩が多いことに由来するなら、鳩間島の古くからの固有の名前というより、島外の人がつけた名前の印象が強い。
島に人が住む以前には、他の名前があったのではないだろうか? 先ごろ亡くなった外間守善氏は「行き果ての『果て』を語根にした『果ての島』が語源であろうと考えている」「ハテあるいはハティに『鳩』の漢字を当てるようになってから、ハトと読み、発音するようになったものであろう」との見解を示していたという(『八重山 鳩間島民俗誌』)。
これも根拠ははっきりしない。それに、鳩間島に「果ての島」のイメージがあったのだろうか。少し疑問がある。最果ての島と言えば、波照間島や与那国島があるからだ。
でも、役人が来るようになってつけられた名前とすれば、もともとは別の名前があったのではないか、というのは同感である。
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