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2013年4月16日 (火)

天明越後柿崎一揆

 江戸中期の天明3年(1783)、越後柿崎で一揆があった。この一揆を描いた小説『起たんかね、おまんたー天明越後柿崎一揆』を読んで初めて知った。
 著者は、元新聞記者の玄間太郎氏。新潟出身である。

 打ち続く天災、凶作、飢餓、越後柿崎の百姓たちは、困窮のどん底にあえぐ。天明3年も天候不順で大凶作だった。だが、お上は容赦なく年貢を取り立てた。さらに地主や造り酒屋が米を買い占め、売り惜しみ、米価は6,7倍に跳ね上がった。食う物もなく、くずやうど、わらびの根を掘り、木の葉まで食べた。餓死、一家心中、そして田畑を捨てて欠落、逃散。諸国で一揆が頻発した。Img_2125

 越後の柿崎でも、7人衆が行動へ。「起たんかね、おまんた(あなたたちの意味)」。命がけで起ち上がる百姓たち。
 「年貢を半分に減免、夫食米の拝借、米の買い占めを止める、飢餓による窮民救済」の4項目を掲げる。500人の百姓が庄屋、造り酒屋、組頭らの打ちこわしに向かう。

 弾圧で7人は投獄され、打ち首、遠島、鞭打ち、過料銭などの刑に処せられた。百姓は叫ぶ。「たたかいはこれからだ!諸国で一揆が続いている。おらたちもその大海の一粒になるのだ」「今に民百姓の新しい世の中が必ずくる」。
 それから100年余のあと、江戸幕府は倒れる。Img_2126

 江戸期、越後を含め全国で3200余りの百姓一揆、騒動があったという。
 柿崎一揆の史料は極めて少ないそうだ。この本は、一揆の様相と起ち上がる百姓の群像を生き生きと描きだした労作である。発行は「本の泉社」。
 本書を贈っていただいた玄間氏に感謝。

  沖縄でも、18世紀は、とくに八重山や宮古など先島で大津波や疫病、凶作が相次ぎ、甚大な被害を受けた。天明飢餓では、3700人余が餓死した。
 ただし「沖縄では百姓一揆がなかった」といわれる。でもそれには、異議がある。百姓、庶民の圧政に対する抵抗とたたかいは、無数にあった。拙文「沖縄民衆の抵抗の歩み」を2012年5月に、このブログにもアップしてあるので、興味のある方は読んでいただきたい。

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