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2013年4月12日 (金)

500年余続く、尚巴志一統の「隠れ御清明」

 

 沖縄はいま、「清明祭」(シーミー)の季節である。中国から伝わった先祖供養の行事だ。お墓の前に、家族、親戚一同が集まり、お供えをして、先祖を祀り、土地の神様に感謝する。

通常は4月ににぎやかに行われるが、ところが秋に密かに行われる清明祭があるという。琉球を統一した尚巴志(ショウハシ)が開いた王統の一族が、先祖を供養する「隠れ御清明(カクリウシーミー)」である。これは「週刊レキオ」が2011年10月11日付けで報じていた。

 このブログで、第一尚氏のお墓が県内各地に分散してあることを紹介した。第7代の尚徳王のさい、金丸(尚円王)のクーデターで王位を追われて、尚徳の長男や王妃も殺害され、尚巴志はじめ国王を葬る天山陵も焼き打ちされるので、遺骨を密かに持ち出したことも紹介した。

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                                   尚徳王御陵跡

 そんな関係から、尚巴志と第一尚氏について関心が強い。それで、「隠れ御清明」について、この記事から紹介する。

なぜ、密かに「隠れ御清明」として行われているのか。それは、「王統が変わった際『第一尚氏狩り』のような、前王統の血縁を排除せよというおふれが出され、清明祭で集まっている一門が狙われました。そのため、時期をずらしてひっそりと清明祭をし、御先祖様の前で一族の結束を固め、供養してきたといわれています」と門中代表の宮城春子さん(このとき75歳)はのべている。
 
 王統が変わったあと「当時は名前を変えたり、読谷や国頭に逃げたり、血筋を隠さないと命がなかったので必死だったんです。この風潮は明治時代になるまで続いたようです」(宮城さん)。だから文献にも残されていないそうだ。

 尚巴志ゆかりの南城市佐敷の佐敷上城跡で「隠れ御清明」として、尚巴志長男系統の子孫の門中(ムンチュウ)によって行われている。門中とは男系の血縁組織である。もう500年以上続いているという。

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               第一尚氏王統の尚巴志ら3王の陵墓の碑

 「佐敷上城跡に月しろの宮が建てられて、歴代王の8つの位牌が祭られています。私が幼い頃は、隠れ御清明には県内各地に散った一門が集まり、ごちそうをささげ、ご先祖様に感謝して繁栄を祈り、ウサンデー(供物)をおいしく頂きました。踊りなどの舞台も設けられて、とてもにぎやかでしたよ」と宮城さんは話している。ただ、ここ10年ほどは集まりが悪くなっているという。

 いまでは、密かにというわけではない。でも、尚巴志と第一尚氏の流れを汲む人々が、いまでもこういう結びつきをもって、500年も「隠れ御清明」を続けているというの、すごいことだ。ここでも歴史が生きていることを感じさせる。

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