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2013年5月10日 (金)

真玉橋の拝所、骨神

骨神(フニシン)

 「大井の上」の拝所で、初めてお目にかかったのが骨神(フニシン)である。ガジュマルの根元にある骨神は「真玉橋架橋工事のときの事故死亡者を祭っている」と伝えられるそうだ。それとは別に、もっと大きな骨神の祠が造られている。


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 移転記念冊子では、以下のように説明されている。

村屋の「上段の骨神を調査したところ、大屋門中二基、一基は入込みの骨が古い。この敷地内から上段に安置した形成があったが、今回大井御獄内に合祀したのは鑑定の結果一基、二基は大屋門中後一基入込みの骨である」。

                           

 

 この大きな拝所が、移転合祀した骨神だろう。「骨神」と書かれた下に「大屋一門中」「新屋、上門、東上門小、いり金城」と記されている。この名前は、門中もしくは門中を構成する家の名のようだ。「大屋」は「真玉橋の国元(クニムトゥ)」、「上門」「新屋」は「真玉橋の獄元(タキムトゥ)」(『豊見城村史第二巻民俗』)といわれている。

これだけ丁重に祀られているということは、「真玉橋の始祖」の骨を神として祀っているのだろうか。

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 フニシン(骨神)は、これまであちこちの拝所を回った中では、見たことがなかった。『真玉橋の聖地と祭祀』(平成3年11月発行)の中の「真玉橋の墓制」を読むと、通常のお墓とは別に、真玉橋には屋敷内墓があるという。

「注目すべきことは、その村の宗家をはじめ二〇軒(旧村屋・拝所のを含め)にフニシンと呼ばれる、その家のタチクチ(祖先)の墓とされる屋敷内墓(以後屋敷墓と称する)があることである」

 屋敷墓は沖縄各地にまれではあるが、「まま散見される」ものの真玉橋の場合、「集落の戸数に対してかなりの頻度を示している」のが特徴だ。屋敷墓は、規模は小さく、数も少ないので、「一世代位の墓制」で、まもなく現在の当世墓地に移行していっているという。

 真玉橋の集落の屋敷墓の分布調査をした結果、「屋敷内にあるフニシンあるいはグフンシンと呼ばれる墓は旧真玉橋地内六九軒のうち十八軒に確認することができた」。

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             「大井の上」から見た国道329号バイパス

 このうち、前松尾(メーマーチュー)のフニシンは「屋敷の主」という認識があり、おじいさんが一日・十五日に拝んでいた。「そこには遺骨があったが今はない」。かつてクニブの木を掘り起こすため鍬を入れたとき、遺骨が出てきたという。

 屋敷墓を「グフンシン」と呼ぶ仲上門(ナーカイジョー)でも「グフンシンを屋敷神として祭っている」という。

 フニシン(骨神)は、「屋敷の主」であり、「屋敷神」として、拝まれていたのだ。 

この屋敷墓とは別に、現在、住民が使用している門中墓や家族墓は「当世墓」と呼ばれるている。

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