真玉橋の拝所、橋の神
橋の神
真玉橋の南側の橋のたもとに、「橋の神」を祀る立派な祠がある。真玉橋を通るたびに、この祠は何を祀っているのか、分からないままいつも通っていた。「橋の神」は、今でも旧暦1日、15日には、この地区の住民が拝んでいるそうだ。
『琉球国由来記』では、「毎月、朔日(ツイタチ)十五日、中ノ橋ニ花五水(酒のこと)添デ、村中ノ人、御拝仕ル也」と記されている(『真玉橋の聖地と祭祀』)。
真玉橋
何を祈願するのだろうか。
真玉橋、雲浮(コモコ)橋、五のいべ、七つのいべ、潮花のせじ(霊威)ぎらいかない(ニライカナイ)がなし、「村民一同に果報があるように作物がよくでき、旅に出てもきて、足のけが等がないようにお守りあれ」。こんな趣旨のことを祈っているそうだ(『豊見城村史』)。
橋の神
2002年に橋の改修にともない、現在の場所に祠が造られた。
「永年風雨等の流失あらゆる困難を克服して橋が出来た。第二次大戦で破壊され消滅に至る」「昔から多くの人(ウマンチュ)の往来便利を与え心から感謝の念を捧げるものである」と「真玉橋拝所移転記念冊子」でも記されている。
写真を撮影した日も、お花が供えられていた。住民にとって、橋に対する感謝の気持ちが強いから、橋の神がいまでも大切にされ、祈願を欠かさないのだろう。
« 橋下暴言と沖縄の苦難の歴史 | トップページ | ギターサークルの送別会 »
「史跡」カテゴリの記事
- 浦添歴史の道、史跡が多い(2013.12.22)
- 浦添歴史の道、近くにある玉城朝薫の墓(2013.12.17)
- 浦添歴史の道、龍巻(2013.12.16)
- 浦添歴史の道、猛攻受けた仲間高台・前田高地(2013.12.21)
- 浦添歴史の道、浦添城跡と浦添ようどれ(2013.12.18)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント