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2013年5月 9日 (木)

真玉橋の拝所、移転された拝所

移転された拝所  

 ここまでは、もともと古くから「大井の上」にあった拝所だ。次に、バイパス建設によって移転された拝所を見る。


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 真玉橋の拝所は24カ所に点在し、集落の開闢以来、字民、各門中が祭祀し、現在に至っている。この地「大井の上」は、地頭火神、水の神、骨神が祭られ、字民の豊年と健康を祈願した由緒ある聖地である。

                           

 

平成6年(1994)国道329那覇東バイパス工事により道路敷になったため、東り原の臼井・今帰仁井・遊庭(旧村屋跡)の火の神・骨神・御井をこの地に整備移転合祀した。「真玉橋拝所整備移転建立記念碑」には、このように記されている。

旧公民館には、かつて村の行政の中心となる村屋(ムラヤー)や、祭りなど行う遊庭(アシビナー)があり、住民が集まって祭事や協議ごとをしていたという。

「此の村屋には、火の神、御井戸等が祭られ上段には、3基の遺体が安置されている。何故そこに骨神が置かれているのか、おそらく真玉橋の始祖真玉橋の世持ち下りした先祖ではないかと思われる」(同冊子)

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大井のすぐ上、ガジュマルの東側に、石碑が三つ並んだ拝所がある。左から「臼井戸」(ウーシガー)、「今帰仁井戸」(ナチジンガー)、「遊庭井戸(アシビナーガー)」。

「臼井戸」は、家庭に井戸がなかった時代に、この臼井戸から水を汲み生活を支えたことから、水の恩恵に感謝して住民から崇められ祀られていた。Img_2208_2

 その昔、この拝所の裏の崖を登って東に行ったところに、長嶺按司(アジ)の居城があったが、「後に城が滅び、時代を経き至り尚貞王代城壁を壊しその石で真玉橋築造したと伝えられ」ているそうだ(真玉橋拝所移転記念冊子)。

「真玉橋を架設するためグスクの石を運んだ人夫がウーシガーで喉を潤し休憩したとの言い伝えも残っている」(『豊見城村史第2巻民俗』)という。

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 「今帰仁井戸」は、いわれが明らかではないという。遠い北部の今帰仁村の方向に向かって遙拝所となっていたという。
 
 「信仰の念が厚く、部落や門中(ムンチュウ)の人々年中行事として祭事を行い、安全祈願、豊年万作の礼拝し、七周期毎今帰仁の現地に赴き、礼拝する習慣になっている」(同冊子)という。

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 遊庭井は、旧公民館敷地内にあった。敷地内には、火ヌ神と3基のフニシン(骨神)も祀られていた。これらが、移転し合祀された。

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