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2013年5月 8日 (水)

真玉橋の拝所、神庭之殿

「神庭之殿」
 
ガジュマルの根元、円形の石積みの拝所の南側の一段高くなったところに、「神庭之殿」がある。「殿(トゥン)」とは、そもそもどういう役割を持つのだろうか。

「沖縄では、村(屋取村は除く)といえば何処の村にも、いわば村ごとに、そこの村共同体の祖霊神を祀った『御獄』が、必ず存在するものである。そしてその御獄の神に対しての祭祀を行うところの場としての『殿』が設けられている。いわば祖霊神祀る御獄ごとに殿が設けられていると言ってもよい」。『真玉橋の聖地と祭祀』で「第1章 真玉橋概況と拝所」を書いた著名な民俗学者の仲松弥秀氏は、このように説明している。

真玉橋の「神庭之殿」は、「村落共同体の神行事に対する祭祀場である。旧5月15日(ウマチー)旧6月15日同じ根差部(ネサブ、呑呂)、嘉数、真玉橋の神人が二ケ字(アザ)の儀式を終え殿で祭祀をとりおこなうところ」「村人総出して神酒を神に供え字民の健康、五穀豊穣の祈願をする」(移設記念冊子)という。

Img_2217

 

 この「殿」をめぐって奇妙なことがある。仲松弥秀氏は、「そもそも『神庭之殿』とされている殿名からすれば、『神の居られるところの庭に設けられた殿』と考えるのが妥当であろう。ところが現在の殿とされている場所には、いくら探し廻っても、神の坐(イマ)すと考えられる所は見当らない」(同書)とのべている。「現在の殿の所に神祀る御獄がなければならない」のにである。

 ただし、「大ウスクガジマルの根元を円形に石積みで囲った…場所には神骨が大切に隠されていると云う。いわば神坐(イマ)すところということになる。したがって殿(現在)からの東方拝は、ここ大ウスクガジマル根元に居られる神への遙拝ということになる」と仲松氏はのべている。

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 つまり、殿の近くに御獄はないが、骨神があり、そこに神がいるとして遙拝しているという説明である。奇妙というのは、現地を見る限り、「神庭之殿」から数㍍離れた北側のガジュマルの根元には「骨神」だけでなく「大井之御獄」がある。この御獄こそ「神の坐すところ」ではないのだろうか。この御獄はどう位置付けられるのだろうか。

     さらに不思議なのは、「神庭之殿」が「大井之御獄」や「骨神」よりも高い場所にあることだ。普通、高い場所から下方を見下ろして祈願するというのは考えにくいからだ。しかも、「御獄」は北に向かって拝む配置であるが、「殿」は南に向かって拝むようになっている。つまり「御獄」と「殿」は背中合わせのような配置になっている。素人目には、見れば見るほど、疑問がわいてくる大井の上だった。

 

なお、『豊見城村史』では、「『由来記の中にも御獄はないが、真玉橋は嘉数、根差部、金良、長堂と共に長嶺城の嶽を拝むのであるが、これは長嶺按司の管下にあったためである。それで嶽は仕立てなかったのだろう」と記している。

 

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