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2013年5月15日 (水)

真玉橋の拝所、仲間世、古島

仲間世拝所

 真玉橋から南に向け県道11号線を進み、嘉数入口から高台の方向に登るとすぐに左手に「仲間世(ナカマユー)」の碑がある。
 
 「真玉橋の古い時代の先祖を祀ったといわれる拝所である」(『豊見城村史第2巻民俗』)。Img_2303


                           

 

  真玉橋村落の最初の祖先が居住した地といわれている場所は、高台の「嘉数バンタ」下方の傾斜地にあったといわれる。「この時代を仲間世といい、三戸のみの集落であった」と伝えられている。
 
 もともとの拝所の場所は、戦後、業者に買い取られ、破壊されることになったことから、やむなく、元の場所から30㍍下方に移された。道路端のお墓がたくさんある場所の一角に、碑が建てられている。

 「仲間世」を少し下り、理髪店の横の道を入った左手、屋敷の一角に「仲間井(ナカマユーガー)址」の碑がある。かつては住民の命を支えた井泉だった。戦前は飲料水として利用され、戦後もしばらく石積みの囲いが残されていたが、今は井泉跡があるだけだ。この二カ所は真玉橋村共同体の拝所となっているそうだ。

Img_2308

 

 この仲間世の地に居住していた人々は、浦添市安波茶村落の仲間家の分家が移り住んだと記している書もあるけれど「これは全く論拠の無い説といってよい」と仲松弥秀さんは断じている(『真玉橋の聖地と祭祀』)。

「ここは高い所であり、狭く傾斜地であり、西北風が強いため、また水も少ないために移動したものと考えられる」(『豊見城村史』)。

 

古島井

 

 移動した先が、仲間世から少し真玉橋寄りに行った斜面にある「古島」と見られる。「古島」というのは、もともとの地名ではなく、「古い集落(シマ)」のことを意味する。
「フルジマ」と書かれた緑色の文化財の標柱が見える。拝所と井泉がある。

 
 「この集落は最初の真玉橋村落とされ」ている(『真玉橋の聖地と祭祀』)。古島集落は5世帯ないし7世帯だったという伝承がある場所だ。住宅横の細い道を登る。ただ、犬に吠えられるのを覚悟しなければいけない。

 拝所には火の神が祀られている。真玉橋拝所整備事業のさい修復されたという。

 

Img_2305

  その奥に「古島井(フルジマガー)」がある。丸い石積み井戸である。水はない。この上の嘉数高台に降った雨が、この付近で湧水となって出ていたのだろう。

Img_2307

 真玉橋の集落形成の経緯について「移転記念冊子」は次のように記している。

 「1522年に木橋が架けられた時代は、俗に仲間世といわれる時代で、1708年の石橋建造時代は“真玉橋古島”が形成され、さらに時代を経て魚介類も豊富で、農耕にも適した現在地周辺に移動して村づくりがなされたと推測される」

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