アルテで「豆が花」を歌う
毎月恒例のアルテ・ミュージック・ファクトリーの5月のテーマは「若」。第89回を数える今回は24組がエントリーした。フラメンコギターから、ソプラノ、テナー独唱、オリジナル・フォーク、ピアノ、ウクレレ、オカリナ演奏と、今回も多彩な演奏が続いた。
歌三線は、今回もわたし一人。少し寂しい。宮古民謡「豆が花」を歌った。織物を織る若い女性が登場するから選曲した。
最初は、豆の花の美しさ、花の命のはかなさを歌う。でも3番からは、ガラッと内容が変わる。琉球王府の時代、宮古島や八重山は人頭税を課せられた。宮古では、女性は、宮古上布など織物を納めなければいけない。作業小屋に女性が集められ織らされる。そこに、役人が監督に来る。この歌では、目差主(メザスシュー)という村の助役格の役人がきていて、美しい若い女性に目をつける。「オレの妾にしたい」と親父に強要する。親父はそれを拒否する。
理不尽な役人への抵抗を歌ったとってもいい曲だ。
「♪朝咲く豆の花のように 夜明け前露を受け咲く花のように」
「♪豆の花は一時だ 露を受けて咲く花は片時だ」
「♪おいおい前里のおやじ お前の娘を俺にくれろ」
「♪私の娘のマカマドウは 位の高い役人様とは 身分が違います」
「♪男と女は一緒になれば 身分の違いは 気にならないものだ」
「♪私の娘は年もまだ一七歳で 肌を見れば まだ子どもですよ」
「♪言うことを聞かないと 二〇ヨミ織らせるぞ 細い糸つなぎをさせるぞ」
「♪二〇ヨミ織らせてもよい 細物でも織りますよ(でも娘はお断りします)」。
人頭税時代の実話物語だという。この「二〇ヨミ」というのは、最も細かい上布で精密な織りものだという。紺細上布を仕上げるには、クモの糸のような細い糸を紡ぐ高度な技術が必要とされ、難しい作業だったようだ。
ただ、最後の部分は解説する人によって、解釈に違いがある。ある人は「二〇ヨミは織らせてもよい。細物は許さない」という理解をする。ある人は「二〇ヨミ織りは許さない。細物織りも許さない」と解釈する。上に引用したのは『南島歌謡大成』宮古編からである。
私的な理解からすれば、役人が「織らせるぞ」といえば「織るのを拒否します」とは言えない。だから「織れと言えば織りますよ。でも娘はやれません」という対応が現実にありそうだ。織るのを拒否できなくても、娘を拒否することは、あとの仕返しが心配だとしても、可能だろう。歌う時も、そういう理解で歌った。
演奏は、出だしは少しつまづいたが、長い歌詞も間違わずに歌えたので、やや満足である。ただ、聴く人にとっては、長いし、あまり味わいのない歌い方で退屈だったかもしれない。演奏後も、反応がいまいちだった。
なお、人頭税時代の哀歌について、ブログ内で「愛と悲しみの島唄」「人頭税哀歌」をアップしているので、興味のある方は見ていただきたい。
ツレは、先日横浜にいる父親を亡くした。アルテに出るか迷ったが、音楽がとても好きで、アルテの模様も毎回、DVDに撮って送っていたので、見て楽しんでいてくれた。それで、亡き父のために「サヨナラの夏~コクリコ坂から」をピアノを弾きながら歌った。こみ上げる思いで、涙ぐみ、少しつまったところもあったが、心に染みいるような演奏で、最後まで弾ききった。
途中、演奏仲間の方々からも、声援を受けた。「感動した」という声も寄せられたそうだ。亡き父も天国から聴いてくれたことだろう。
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