「ジョン万次郎の歌~忘れはしない肝心(ちむぐくる)~」できる
ジョン万次郎をテーマとした歌「ジョン万次郎~忘れはしない肝心(ちむぐくる)~」ができて、ラジオではもう流れ出した。
沖縄フォーク歌手の、かでかるさとしさん作曲、歌詞は日高博さん。歌うのは、三田りょうさん。三田さんは、沖縄によく来て、ラジオ番組ももっており、ファンが多い。
歌は、土佐の漁師だった万次郎が、遭難して助けられ、アメリカに10年間いて、日本に帰る際、琉球に上陸し、いまの豊見城市翁長に半年間滞在した。その後、土佐に帰り、江戸幕府にも取り立てられた。幕末の日本に、最新の西洋事情や民主主義の政治制度・思想を伝え、幕末の志士や日本の開国にも大きな影響を与えた。その万次郎の人と歩みのエッセンスを歌詞としている。
中浜万次郎
曲は、フォーク調で、とてもノリもよく、わかりやすい。三田さんは、もともとはフォークソングを歌っていたとか。CDは、高杉晋作の歌~ああ青春奇兵隊~」とカップリング。ジャケットのイラストは、かでかるさんによるもの。
歌詞は以下のような内容である。
「ジョン万次郎の歌 忘れはしない~肝心(いむぐくる)~」
歌 三田りょう 作曲 かでかる さとし 日高博作詞
1、土佐の男は「いごっそう」、黒潮育ちの万次郎。
14の時に海に出て 嵐に遭って流されて
助けられたが捕鯨船 自由あふれるアメリカへ。
2、ジョン万と呼ばれ、学ぶ日々、首席で卒業、万次郎。
七つの海をめぐりつつ 瞼にうかぶは、土佐の母。
あふれる知識を身につけて、ふるさと帰ると決めたのさ
3、 鎖国ニッポンそれならば、琉球めざす万次郎。
アレに見えるは糸満の、白波上げる小渡(うどぅ)の浜。
ふるさと離れて10年目、たどり着いたは豊見城(とみぐすく)。
4、島の人々優しくて、ここでも人気の万次郎。
三線の音(ね)に誘われて、夜が明けるまで、毛遊(もーあし)び。
ここも俺のふるさとよ、忘れはしない、肝心(ちむぐくる)。
5、坂本龍馬も驚いた、スゴイ男よ万次郎。
アメリカ帰りのあの男 世界のすべてを知っている。
幕末動乱、夜明け前 時代がお前を待っていた。
新しい ニッポンの礎(いしずえ)築いた 万次郎。
その名は中濱万次郎。
2013年7月7日に、豊見城市中央公民館で「とみぐすくカラオケサークル仲間達結成20周年、平成24年度沖縄県文化協会賞団体賞受賞記念発表会」と「三田りょう新曲発表会」を兼ねて開催され、そこで披露される。
豊見城カラオケサークルの会長が、沖縄ジョン万次郎会事務局長であり、会員も重なっている人が多いので、こういう形式の集いになった。会費3000円(新曲CD1200円込み)である。
すでに県内では、RBCラジオの「団塊花盛り」などの番組で新曲が流されている。カラオケDAМでも、配信されている。
高知では、ジョン万次郎のNHK大河ドラマ化を求める100万人署名運動も取り組まれているそうだ。
この歌も、みんなに愛されて、万次郎ブームを沖縄でも高知でも、全国でも盛り上げるうえで大きな役割を果たすことを期待したい。
万次郎のことを詳しく知りたい方は、「沖縄で愛される中浜万次郎」をアップしてあるので、そちらを見ていただきたい。
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コメント
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セミリタイアしてから2012年に那覇に移住した唄三線好きです。40年ぶりに楽器再開して練習してます。近所の大道公民館で始めて半年くらいのレベルの初心者練習会を始めました。
その練習会紹介のために作ったブログで歌碑などの情報集めようと思い立ったら、貴サイトのような素晴らしい先人のサイトがあるのを初めてしり、汗顔の重いです。
出典を必ず表示しますから、貴サイトの情報を使ってよいかどうかお知らせください。ブログ自体、これまで始めてはすぐ挫折の繰り返しだったので、マナーも何もわかりません。
こういうお願い自体が常識はずれなのかもしれません。 どの程度をどうやって転用して良いのかまったくわからないので、失礼があればどうぞお許しください。
投稿: ヨンナー島唄 | 2013年5月11日 (土) 09時43分
ヨンナー島唄さん。ブログを見ていただきありがとうございます。
島唄を習うのには、歌詞の意味や歌の背景など知りたくなります。だから、歌碑を見るのも勉強になりますよね。
わたしのブログで参考になることがあれば、どうぞご利用ください。わたしも、ナイチャーなので、勘違いなどあるかもしれませんが。
投稿: レキオアキアキ | 2013年5月12日 (日) 00時43分
快諾頂きありがとうございます。 コメントを軽はずみに書いてから貴サイトのバックナンバーを拝見してその内容の濃さすばらしさ、文章のうまさに驚愕しました。
シュガーローフの近くに居を構えてからはじめて、ここが沖縄線最大の激戦地だったと知りました。1週間で数千人が死に、折り重なる死体を踏みつけて戦ったと。
そこにカトリック教会と水道タンクが出来るのしかたがないとして、高級マンションが建ってしまうとは、慰霊、平和祈念の公園にすべきだったのにと思いました。
史跡巡りなどをするにしたがって、住民を蔑視して無視して盾にした沖縄戦の悲惨さがすこしずつですが理解できるようになりました。
これからも貴ブログを精読して勉強させていただきます。
投稿: ヨンナー島唄 | 2013年5月12日 (日) 18時23分
ヨンナー島唄さん。再度のコメントありがとうございます。
シュガーローフの戦いはあまりに凄惨な戦闘で、米兵の精神異常をきたす人が続出したそうですね。激戦地といえば、330号からおもろまちに入る交差点の東側も、ハーフムーンという激しい戦闘の地ながら、丘は削り崩され、首里方面に抜ける道路が完成して、もう戦跡の痕跡もなくなりました。残念です。
沖縄に来たのが少し、早いので、興味のあるままにいろいろ書きなぐっています。長いものもいろいろあるので、また関心があれば眺めていただければ幸いです。
まだまだ勉強不足ですが。よろしくお願いします。
投稿: レキオアキアキ | 2013年5月12日 (日) 23時54分