「無情の月」あれこれ、その2
「無情の月」の続きである。
前にアルテで歌ったとき、歌詞の私的な解釈をした。
その後、同じアルテの三線仲間のTさんが、歌詞について、民謡の先生に聞いてくれたそうで、先生の解釈を教えてくれた。
問題は、「無情の月」の3番目の歌詞である。
♪貫ちたみて置ちょて 知らさなや里に 玉切(チ)りて居てど 袖ぬ涙
私は前のブログで「♪彼のことをひたすら思いを貫いている。そのことを伝えたいけれど、彼はいまや玉と散っていて、伝えることもできない、ただ袖に涙するばかりだ」という意味だと思うと説明した。特に、「玉と散る」というのは、戦死を意味するのではないかというのが、私流の理解だった。
Tさんの先生によると、そうではなくて、次のような歌意ではないかとのこと。
「貫ちたみて」とは、沖縄ではよく「貫花(ヌチバナ)」というレイのような花飾りを作る。彼のために「貫花」を作ったことを、知らせたい。でも貫花は悲しいことに切れてしまった、袖に涙するばかりだ。
確かに、「貴方への思いを貫いている」という表現に、ウチナーグチで「貫たみてぃ置ちょて」とは言わないかもしれない。
三線サークルに行った際、この唄が好きでよく歌っているAおじいにも聞いてみた。やはり、「貫ちたみて」とは、貫花を作ったという意味ではないかと同じ理解だった。ただ、「玉切れて」は、貫花が切れたということかもしれないが、彼氏が亡くなったという意味があるかもしれないといっていた。
それは、次の4番の歌詞と関係する。「♪わが身に幸せの光はささない」と不幸な身を嘆いているからだ。貫花が切れたことで「わが身の不幸」を嘆くだろうか?彼が元気なら、また帰ってきて幸せをつかめるだろう。いずれにしてもこの唄は、愛する男女の引き裂かれた「無情」がテーマになっていることは確かだ。
ちなみに、ネットで島唄の歌詞とその解釈を紹介してくれている「たるーの島唄まじめ研究」は次のような和訳をのせている。
「♪貫きため置いておいた知らせたいよ貴方に 玉を切っておき袖の涙」
残念ながらこれだけでは、意味がよくわからない。
そういえば、「無情の月」の歌詞は、普久原朝喜さんの名曲「無情の唄」と発想がとても似ている。愛し合う男女が引き裂かれ、女性は故郷に、男性は海を隔てた遠くにいる。思いあってもままならない恋路である、朝夕袖を濡らし暮らす辛さよ、一人月に向かって泣いている。「浮世 無情なむん」と繰り返す。
こんな内容だ。表立って、戦争のことは出ていないが、実は出征して引き裂かれた男女を歌っているそうだ。「秘められた非戦の歌」といわれる。
「無情の月」も、愛し合う二人だが、彼は海を隔てた遠くに行っている。引き裂かれた悲運と離れても慕う心を歌っている。「海を隔て自由に逢うこともできない」「袖を濡らす」「月に向かって泣く」というのも同じだ。
そういう意味では、「無情の月」は、旋律は普久原朝喜さんの「あこがれの唄」とほぼ同じ、歌詞は同じ普久原作「無情の唄」ととても主題と構図がに似ている。不思議な唄である。
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