「多良間ションカネー」の謎、その1
「多良間ションカネー」の謎
多良間島の古い歌謡を代表する名曲「多良間ションカネー」には、謎がある。
多良間島は、宮古島と石垣島の中間に位置するが、比較的宮古島と近いからなのか、「多良間ションカネー」は宮古民謡の名曲として扱われている。沖縄本島でも歌われるが、でも宮古島で歌われているものとは、歌詞も旋律も少し異なる。私は、やはり宮古民謡の工工四(楽譜)で歌っている。
いくつかの工工四を比べてみると、奇妙にも歌詞の内容で大きな異同があることに気がつく。しかも、とても重要な部分である。
琉球王府の時代、多良間島など先島に赴任する役人は、賄い女を置く習慣があった。多良間島では「ウェーンマ」とよばれた。現地妻である。子どもも生まれる例も多く、家族同然であった。でも、役人の任期が終わると、妻や子どもを置き去りにして、役人は帰って行った。その役人を見送る情景や哀しみが表現された曲である。
宮古民謡の名手、国吉源治さんや砂川功さん、砂川喜助さんの「宮古民謡工工四」は、ほぼ共通して次のような歌詞になっている。
♪前泊道がまからよマーン 下りゆ坂路地からよスウーリ
主が船迎いがよスウーリ すが下りよ
♪片手しや坊主小さうきよマーン 片手ゆしや瓶ぬ酒むちよスウーリ
主が船うしやぎがよスウーリ すが下りよ
♪かぎ旅ぬあやぐどぅすぅでいよマーン ちゆらゆ旅ぬ糸音どぅすぅでいよ
糸ぬ上からよスウーリ ちあかりゆしよ
♪あがす(。がつく)ん立つ白雲だきよマーン わあらんゆ立つぬり雲だきよスウーリ
うぷしゃなりわらだよスウーリ主がなすよ
歌意は大筋で、次の通り。
・前泊(地名)の前の道を 坂を下りて船着き場への小道を通り
役人を迎えに行きます
・片手に幼子の手をとり、片手にはお酒を持って、
役人を見送りに行きます
・航海の無事を祈るよい歌を歌い、安全な旅を祈る歌を歌い、
糸の上を通るようにお祈りします
・東方に広がる白い雲のように、上方に見える大きな雲のように
出世してもう一度帰ってきてください
これに対して、真栄里孟編著「宮古古典民謡工工四」は、1、2番の歌詞が重要な点で異なる。
♪前泊道がまからよ まーん(又)下りゆ坂がま小道からよ
シュウリ 主が船うしゃぎがよシュウリ すが下りよ
♪片手しやぼうずがましょうきよ まーん片手ゆしや瓶ぬ酒持てぃよ
シュウリ 主が船んかいがよシュウリ すが下りよ
重要な相違は、「主が船迎いがよ」(お役人が乗った船を迎えに行きます)という歌詞が、国吉版、砂川版の工工四では、一番の歌詞に付いている。ところが、真栄里版工工四では、2番の「片手ゆしや瓶ぬ酒むちよ」の後についているのだ。これでは、意味がまったく変わってくることになる。
つまり「迎える」と「見送り」のついている位置が、両者では逆になる。
その結果、歌の内容がガラッと変わる。国吉版、砂川版では、まず1番で「前泊の道を通り、坂を下り、船着き場に迎えに行く、役人をお迎えする」、2番では、任期を終えた役人が帰るので、「片手に子ども、片手にお酒を持って見送りする」となる。
だが、真栄里版では、1番ですぐに任期の終えた役人を「見送りに行く」、2番では、将来もう一度、島に帰ってくるときは「片手に子ども、片手にお酒を持ってお迎えします」という意味なる。
だから、「片手に子ども、片手にお酒を持つ」ことが「見送り」の場面なら、涙を誘う哀切な歌になる。でも、「お迎えする」となれば、お酒は分かれの盃ではなく、帰って来たお祝いのお酒となる。意味が180度変わってくる。
そこで、両者の歌詞について、よく考えてみると、双方ともに、少し難点がある。
国吉版、砂川版では、赴任してくる役人を、お迎えするというのは、少し無理があるのではないか。役人は、島に来てから現地妻を見つけるからだ。赴任する前に、現地妻が決まっていてお迎えに出るということは考えにくい。
写真は多良間島ではない。宮古島のビーチ
だから、なぜ最初にお迎えの場面がくるのか、不可解なところだ。ただ、2番で「片手に子ども、片手にお酒を持って見送りする」というのは、とても情景として胸を打つ。たしか、「与那国ションカネー」も、同じテーマの歌で、歌詞もよく似ているところがある。赴任した役人が帰るので、現地妻が見送りに行く。お別れのお酒を持ってくる。
「♪お別れだと思い、持ってきた盃には涙がたまり、呑むこともできない」
この「与那国ションカネー」を歌っていたので、「多良間ションカネー」も同じように、お別れにお酒をもって見送るのが自然だと解釈して、これまで歌ってきた。
では、真栄里版はどうだろうか。1番で「見送り」して、2番でもう「お迎えする」ことになる。島に置き去りにされる妻と子どもの辛さと悲しみがあまり歌われないまま、「片手に子ども、片手にお祝いのお酒を持ってお迎えします」というのは、ちょっと唐突な感じがある。この歌は、現地妻の悲哀感が滲みでてこそ、胸を打つのではないだろうか。それが、この歌詞ではちょっと物足りない印象がある。
そんなことで、私的にはこれまで国吉版工工四で歌ってきた。アルテ・ミュージック・ファクトリーで歌った際も、そういう歌の解釈で説明をした。
宮古民謡を歌う人たちの間でも、解釈は分かれたままのようだ。それぞれの先生の使う工工四にそって歌っているからだろう。アルテ三線仲間で宮古民謡の名手であるTさんにも前に尋ねたことがあった。Tさんは、国吉源治さんの流れを汲んでいるので、やはり「お迎えします」は1番の歌詞でよいということだった。
とはいっても、本当にこの解釈でよいのか、少し疑問が湧いてきた。というのは、歌っていて赴任する役人を現地妻が迎えるというのは、どうにも納得しがたいからだ。
図書館にある宮古民謡の工工四(楽譜)をすべて調べてみた。国吉版と同じ1番で「お迎えします」が3冊、真栄里版の2番で「お迎えします」はこの1冊だけで少数派だった。
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