アルテで「南洋小唄」を歌う
毎月恒例のアルテ・ミュージック・ファクトリーの7月のテーマは「南」。今月は、エントリーが終わると、次の用事があるので、自分たちの出番が終わると引き揚げた。だから、前半の1部しか見ていない。
今回、RBCラジオのヘビーリスナーで落語家の「あにたまき」こと「南亭こったい」さんが、音楽の出演が始まる前の時間に落語を披露することになった。
江戸の長屋の怪談話を披露した。30分近いが、まだそれでも前半だけだとか。落語の世界に浸り、楽しんだ。これから毎月、披露してくれるという。
三線はTさんと私の二人だった。Tさんは、なんと1925年に作られたという大衆歌謡「酋長の娘」を三線を弾き、歌った。驚いたのは、Tさんによると、この歌のモデルは、高知県出身の森小弁(コベン)という人。1892年にミクロネシアのトラック諸島にわたり、現地で酋長の娘(イザベル)と結婚したという。高知出身の私も初めて聞く話だった。
ネットで調べてみると、次のことがわかった。
森小弁は、自由民権運動にかかわっていたが、やがて政治に失望し、南洋貿易に夢を託した。それで横浜から一人で南洋へ旅立った。
トラック諸島(現ミクロネシア連邦チューク州)で、一時期、南の島支配の野望を抱いたが、酋長の娘と結婚して現地に同化。貿易で得た利益をで学校を建てるなど島の民生向上に尽くしたという。
今は彼の4,5代目の子孫が1000人ほどもいて、ミクロネシア連邦の7代目、エマニュエル・モリ大統領は、森小弁のひ孫にあたるというからビックリ。人口11万人ほどの中で、その子孫は一大勢力である。モリ大統領は、高知県も二度訪れたそうである。
もう一つ発見したのは、彼がもともと自由民権運動にかかわったということ。それなりに進歩的な思想をもっていたのだろう。でも、挫折したのか、自分の活路を南洋群島に見出したようだ。
実は、沖縄自由民権運動の闘士たちも、民権運動が激しい弾圧などで行き詰ったとき、新天地をハワイ、アメリカ大陸への移民に見出した。だから、金武町出身の當山久三など、移民の父と呼ばれている。思考の回路として共通するものがあるのだろうか。
今回は、私も南洋で作られた民謡「南洋小唄」を歌った。
南洋群島は、戦前日本の統治下にあり、たくさん移民、出稼ぎで出かけていた。サトウキビ栽培が盛んだったので沖縄からは特に多く出かけた。南洋の日本人の3人に2人はウチナーンチュだったと聞く。沖縄人街がつくられ、沖縄芝居の小屋もあり、役者、唄者もたくさん渡った。南洋は「楽園」のように、見られていた。
南洋群島について、このブログで「南洋群島のストライキ」をアップしているので、興味のある方は、そちらを読んでほしい。
歌の歌詞は次の通り。
♪恋し故郷ぬ 親兄弟と別りよ 憧りぬ南洋 渡て来しがよ
♪寝て覚て朝夕 胸内ぬ思やよ 男身ぬ手本 なさんびけいよ
♪幾里ひじゃみてん 変わるなよ互によ 文ぬ交わしや 無女が情けよ
♪明けて初春ぬ 花咲ちゅる頃によ 錦重にやい 福て戻らよ
和訳すれば次のようになる。
♪恋しい故郷の親兄弟と別れて、憧れの南洋に渡ってきた
♪朝夕思う事は、男としてひと旗あげて、故郷に錦を飾ること
♪遠く離れていても互いに変わるなよ、手紙を交わそう 彼女の愛情の証しだ
♪年が明けて花咲く季節には、豊かになって帰ってくるよ
サークルで使う工工四(楽譜)はこれで終わっている。でも、「楽園」と思われた南洋群島は、太平洋戦争で米軍が進攻してきて、地獄と化した。沖縄人の死者は1万2800人を超えるという。なにか、この後の歌詞がほしいと思っていた。知名定男さんのCDを聴くと、次の歌詞が付け加わっていた。
♪あん言ちょて行ぢゃる 人や何がしかよ 今やサイパンの
土となたみよ
(そう言って出て行った 人はどうなっただろう 今はサイパンの
土となった)
歌はなんとか歌えたが、三線は簡単な演奏なのに、ミス多し。終わるとすぐに出たので、感想は聞けなかった。
ツレは、サザンオールスターズの「真夏の果実」を、N君のアコースティックギターの伴奏で歌った。ギター一本で歌うと、サザンのにぎやかな演奏とは違って、バラード曲のようにしっとりと聴かせてくれた。声ものびやかに出ていたと思う。
2部の演奏は聞けなかった。打ち上げにも出れず、残念だった。次に機会に楽しもう。
« 動画でバリガムランを聴く | トップページ | 庄内藩の戊辰戦争、その1 »
「音楽」カテゴリの記事
- アルテで「肝がなさ節」を歌う(2014.02.10)
- アルテで「歌の道」を歌う(2014.01.13)
- アルテで「時代の流れ」を歌う(2013.12.15)
- 第30回芸能チャリティー公演で演奏(2013.11.24)
- ツレが「渚のアデリーヌ」を弾く(2013.11.18)
コメント
この記事へのコメントは終了しました。
アキアキさん、Tさんの「酋長の娘」は懐メロですよね。三線で弾かなくてもいい感じがしたんですけど。それにしても森さんという方はすごい人ですね。高知で果たせなかった夢を違う形で違う場所で、自分なりの人生をまっとうしたんだから。
「南洋小唄」は戦前の沖縄の人のことがよくわかっていい民謡ですね。知名定男の歌詞もいいです。三線の腕前はそんなに悲観しなくていいですよ。ちゃんと弾けてましたから。それからわたしの伴奏をしてくれたNさんが弾いたのはアコースティックギターではなくてクラシックギターです。クラシックギターだから、しっとりとした音色だったのですよ。アコースティックはもっと快活な感じになりますよ。
投稿: いくぼー | 2013年7月16日 (火) 11時23分
いくぼーさん。コメントありがとうございました。
森さんが、南洋に行ったのは、沖縄から移民が出かけていくよりだいぶ前だから、苦労もあったでしょう。貿易で得た利益で学校を建てるなど貢献したのはえらいです。
ただ、南洋全体でみれば、日本軍が統治して、たくさんの日本人、沖縄人が移民や出稼ぎで出かけたのを、現地の住民はどんな目で見たのかな、と気になります。
「酋長の娘」の歌詞は、内容が良いとは思えないけれど、「南洋小唄」は、それなりに、当時の状況や移民の心情を歌っていて、よい曲だと思いますよ。
投稿: レキオアキアキ | 2013年7月16日 (火) 14時16分
南洋小唄は素敵ですね、又 南洋の記事は。勉強になりあmした。
ありがとう ございます。 その他のページに。すごいなーと感動して 読ませて 頂いて おります。
投稿: miyako. | 2013年8月 2日 (金) 10時55分
miyakoさん。コメントありがとうございました。
「南洋小唄」いい歌ですよね。私が通う民謡三線サークルのおじい、おばあのなかでも、「南洋生まれ、育ち」という人が何人もいます。南洋の戦前と戦争時の様相を知ると、歌うときにも気持ちが入ります。
ブログの他の記事も見ていただき、評価までしていただいて、感謝感謝です。これからもよろしくお願いします。なんなりとまた、気楽にコメントください。
投稿: レキオアキアキ | 2013年8月 2日 (金) 22時35分