組踊「手水の縁」の動画を見る
平敷屋朝敏の処刑地について書いたついでに、彼の作品である組踊「手水の縁」がユーチューブにアップされているので、関心のある方のために紹介しておきたい。
組踊(クミウドゥイ)は、歌三線、踊り、科白による伝統芸能である。数ある組踊作品でも「手水の縁」は、異色の作品である。
この動画は、国立劇場おきなわの組踊研修終了生でつくる「子の会(しーのかい)」の公演だ。第1回は、「手水の縁」の最初の「出会いの場」である。このあとは、数回に分けてユーチューブにアップされているので、続きは直接、そちらで見ていただきたい。
瀬長山に花見に出かけた若い山戸が美しい玉津を見染める。昔から男女の縁結びの行為といわれた手で水を汲んでもらった縁で二人は心が結ばる。王府時代には、結婚は親が決めることで、自由な恋愛はご法度だった。親に見つかった玉津は、処刑とされる。その時、駆けつけた山戸は、命がけで助命を願い、二人の純粋な愛情が通じて二人は結ばれるという物語だ。
山戸が語るセリフにこうある。「いかな天竺の 鬼立の御門も 恋の道やれば 開きどしゆゆる」。どんな天竺の鬼といえども、命をかけた若い男女の恋の道はとどめられない、という意味だ。この組踊の主題が集約されたようなセリフである。
封建社会は、親が認めない恋愛は不義そのもの。それが儒教の道徳であり、社会的な秩序でもあった。山戸が、命を賭して彼女を処刑から救い、自分たちの恋愛を成就させるという内容は、同時代の組踊、文学とは次元を異にする画期的な作品である。
朝敏は、「手水の縁」を書き上げると尚敬王に差し出したが、封建的義理の否定が主題となっているため、王は非常に驚き、重大な問題として下臣に謀ったところ、秩序を乱す者として処刑と決定したが、彼の和文学の指導を受けたことのある一五人役の一人の多嘉良親方の弁明でやっと助かった、というといういきさつがあったとも伝えられる(玉栄清良著「組踊 手水の縁の研究」)。
ただ、作者の朝敏は、すでに書いたようにその後、政治犯として処刑されることになった。悲劇の文学者たるゆえんである。
興味のある方は、このブログに「琉球悲劇の文学者、平敷屋朝敏覚書」をアップしてあるので、そちらを見たいただきたい。
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