庄内藩の戊辰戦争、その1
庄内藩の戊辰戦争
「朝敵」とされた会津藩、庄内藩
戊辰戦争では、東北の藩として同じく「朝敵」とされて、最後まで戦った会津藩と庄内藩。会津藩のことを書いたついでに、庄内藩に少し興味をもった。庄内藩が舞台になっている佐藤賢一著の小説『新徴組』を読んでみた。読んでみて改めて、考えさせられるところがあった。
東北の諸藩は、戊辰戦争では薩摩、長州などの官軍に対して、それぞれ対応を迫られた。東北の諸藩は、奥羽越列藩同盟を結んで官軍と対峙した。だが、途中で恭順の意を示した藩。降伏を拒み官軍に攻められ開城に至った藩。早くから官軍に味方した藩など、対応は分かれた。
庄内藩は、今の鶴岡市が本拠地である。庄内平野は米どころで、酒田は北前船の寄港地として栄えたところだ。戊辰戦争より前から軍備の近代化を進め、官軍にも対応できた。戦闘ではとても強かった。官軍は、同じ東北の藩のなかで、恭順の意を示した秋田藩、新庄藩らを庄内藩への戦闘に駆り立てた。庄内藩は、攻め込まれるどころか、逆に新庄、天童領内などに攻め入り、秋田藩にも兵を進めた。
しかし、官軍の攻勢の前にして、奥羽越列藩同盟に属した近隣の米沢藩、仙台藩も官軍に降伏する。頼みの会津藩も降伏に至った。
官軍に最後まで抵抗した庄内藩は、戦争では敗れない、領内への侵攻も許さなかった。けれども、戊辰戦争のこうした趨勢のもとで、とうとう官軍に降伏の意を示し、開城することになった。ここまでは、前置きである。
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