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2013年7月23日 (火)

平敷屋朝敏の処刑地を訪れる、その1

 伝統芸能の組踊「手水の縁」の作者で悲劇の文学者、平敷屋朝敏(ヘシキヤチョウビン)は、那覇市安謝で処刑された。その場所がどこなのかは知らなかった。「恵比須神社のあるところが処刑の地だ」と聞いたので、訪ねてみた。

Img_3010 朝敏は、1734年、当時、琉球を支配する薩摩が那覇に置いていた出先機関である在番奉行の横目、西川平左衛門宅に、王府を批判したとみられる投書をしたとして、友寄安乗ら和文学の仲間とともに捕らえられた。6月26日、安謝港で朝敏をはじめ15人が処刑された。

 Img_3014 国道58号線を北に進んで、安謝交差点の一つ手前の道を左折して進むと左手に見えてくる。鳥居があり、登ると神社の拝殿がある(上)。

 ちょうど、神官さんとご家族がいらっしゃった。「平敷屋朝敏がここで処刑されたと聞きましたが」と尋ねた。「その場所はこの裏です」と拝殿の裏に連れて行ってくれた。「霊感の鋭い人によると、ここで処刑されたようです」と神官さんが指したのは、建物裏の鳥居の上の草木の茂る一角だった(下)。

Img_3016 「神社が処刑の地というのはおかしい気がしますけれど?」と尋ねると「いや、この神社が出来たのは戦後ですから。琉球八社の一つ、沖宮の末社になります」という。それで納得した。

 「平敷屋朝敏ら3人がここで処刑されたけれど、その後、誰かがこの安謝の隣の部落に遺骨を運んでお墓に埋めたそうですよ」と教えてくれた。朝敏と親しかった人たちが、密かに遺骨を運んで葬ったのだろうか。
 ただ、朝敏と処刑について書かれた看板など、残念ながら何もない。

 朝敏について書くと長くなるので、このブログで何回かアップしてあるので関心のある方はそちらを見ていただきたい。

Img_3017 拝殿の裏山のような場所には、いくつもの石碑が建っている。この神社の主な祭神は、恵比須大明神、大国大明神、混比羅大明神だとのこと。石碑にはそれらしい名前が刻まれている。Img_3018 それだけでなく、沖縄の土着の神も祀られている。「地頭火ぬ神」の名前が見える。

Img_3021
 石碑の上には、さらにまた拝所がある。Img_3019

 銅像や丸くて青いガラス玉のようなものも、祀られている。神官さんは忙しくて、これらのついては詳しく聴けなかった。Img_3022 処刑された朝敏と仲間たちは、限りなく無念なことだろうが、その場所がこういう拝所になっているのは、鎮魂の場所としてはふさわしいのかもしれない。


 

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