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2013年8月22日 (木)

奄美の債務奴隷「家人」、その2

人格無視の 「モノ」扱い

なぜ奄美諸島では、債務奴隷のような家人(ヤンチュ)が大量に生まれたのか。
 そこには、奄美を植民地とした薩摩藩の砂糖収奪の政策がある。

薩摩は藩財政の悪化のなかで、値段の安い米作から黒糖生産への切り替えを進めた。サトウキビを強制割り当て栽培させ、黒糖の割り当て量を供出させた。その後、年貢に差し出す黒糖も、残りの黒糖もすべてを納入させ、個人の砂糖売買は禁止するなど、黒糖収奪のあらゆる手段を強めた。
 
 厳しい砂糖政策によって、農民は苦しみあえいだ。とくに、台風などによるサトウキビの不作などで、決められた貢納分が納められない農民は、借金せざるをえない。借金で首が回らなくなると、返済のために自分の体を豪農に売り、家人に転落するしかなかった。まさに、薩摩の奄美支配と砂糖収奪によって生み出された債務奴隷である。


 
 家人には三つの形態があった。「年季」家人(期限がある人)、「無年季」家人(無期限)、「膝巣立(ヒザスダチ)」(家人同士の間に生まれた子供で、一生家人)の3形態である。

年季(「身を売る」期間)は。5年か10年だったが、期限のない「無年季家人」もいた。身売り代価は、砂糖1500~2000斤が普通だった。砂糖1斤(=約600g)は米5合と交換されたので、米でいうと、砂糖2000斤は米10石にあたる。(米1石は米2俵半、約150㎏)。米5㎏=2000円としても、砂糖2000斤は今のお金で約60万円ということになる。

家人は、身上砂糖を償還すれば自由の身になれた。しかし、年3割の利息がつくので実際には抜け出せない。「膝巣立」と呼ばれた家人の子どもは、終身主家に従属し、苦役に服した。
 
 家人は年貢を免除されるが、モノとして位置付けられた。主家に隷属しており、売買もされ、主家の嫁入りには伴われる。存在自体が非人間的である。幕末には、全人口の3分の1が家人だったといわれる。驚くべき比率である。いかに奄美農民が呻吟したのかを端的に示している。


 
 奄美全体で家人が多数発生する一方で、大土地を所有する由縁人たちは、家人を労働力として吸収して黒糖生産を拡大し、豪農化していった。

 中には、数十町歩(数十ha)の土地と300人の家人を持っていた島役人もいた。奄美における政治的・経済的支配者といえる。奄美諸島の中で、著しく貧富の差が拡大した。

 

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