「あやぐ節」に歌われた渡地
「あやぐ節」に歌われた渡地
「あやぐ節」のなかで、宮古島から沖縄本島に船旅する夫に「落平の水で水浴びしないように」と歌われていることを書いた。なぜ女性は、本島に出かける夫の心配をするだろうか。それは、「あやぐ節」の別の歌詞をみれば、よく分かる。
「♪宮古(ナーク)から 船出ぢゃち 渡地(ワタンヂ)ぬ 前ぬ浜に 直(シ)ぐはいくまち」
(宮古から船を出して 渡地の前の浜に すぐ走り込ませた)
これも、文言だけではよく分からない。渡地というのは、辻、仲島とならんで有名な遊郭だった。つまり、渡地に走り込むというのは、遊女のもとに走り込むことを意味する。
島袋盛敏、翁長俊郎著『標音評釈琉歌全集』は次のように評釈している。
渡地に走り込んで来ると、そこには…渡地小女郎波枕(遊女)たちが待ち受けている。それで船頭衆は渡地に向かうときは元気が出て、他の方向に行くときよりも倍の力を出して、舟足を急がせるのであった。そして海の男達は手荒く小女郎たちを愛撫するのであった」
かなれ露骨な表現で、船が渡地に急ぐ意味を評釈している。
ただし、この渡地には「宮古蔵」と呼ばれる施設があった。下の地図で見ると、渡地遊郭のすごそばに宮古蔵がある。
宮古蔵は「宮古、八重山の貢物をつかさどった機関」で、貢布、特産品の貢物を扱った。「王府の各機関に納入するさいの窓口業務的な性格の機関であったようだ」。また、「貢使の宿館的な機能ももっていたらしい」(『沖縄大百科事典』)。
宮古から本島に向かう船といえば、貢納物の運搬が重要な任務の一つだったはずだ。まずは宮古蔵に貢布や特産品の貢物を納入することが大切な任務である。一仕事終わってから、遊郭で遊ぶことはたしかにあるだろう。宮古蔵が宿館的な役割もあり、その宿のそばに遊郭があれば、誘惑にさらされるだろう。
宮古からの船といえば、貢物の運搬でなくても、何らかの用務があっただろう。ただ遊びのためにくるのではないはずだ。用務はそっちのけにして、まず渡地の遊郭に走り込むというのは、少しオーバーな表現かもしれない。
とはいっても、この琉歌で歌われる「渡地ぬ前ぬ浜に直ぐはいくまち」という表現は、なんか喜び勇んで向かうという雰囲気がある。だから、運んできた貢物を納入するなど用務が終われば、遊べるということで、喜び勇んで渡地の浜に急いだのだろうか。
そんなことも想像した。
追記
仲宗根幸市編著『琉球列島島うた紀行、第三集沖縄本島周辺離島那覇・南部』では、「あやぐ節」は宮古から旅してきた船乗りと遊女との問答歌だという。そうなれば、遊女のいるは渡地の前の浜に急ぐという意味も、おのずと明らかである。ただし、船乗りは、それなりの用務をもって船旅をしてきたことには変わりないだろう。
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