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2013年9月 1日 (日)

古波蔵馬場跡を訪ねる、その1

古波蔵馬場跡

 

わが家からも近い市内城岳小学校の前に、かつて「古波蔵馬場」があったという。この通りはもう何百回も通っているが、馬場跡だというのは知らなかった。前にブログで紹介した「琉球競馬(ンマハラセー)」のことを書いた梅崎春光著『消えた琉球競馬』を読んでいると、「古波蔵馬場」が紹介されていたので、見に行った。Img_3256

ここは、那覇市内でも有数のガジュマルの見事な大木がある。その前に馬の塑像がある。前からこの馬の像は見ていたが、その意味がやっとわかった。馬の足元に「古波蔵馬場(クハングヮンマウィー)」の説明板があった。次のように紹介している。

「この地は、かつて古波蔵馬場と呼ばれ、古波蔵村が近隣の国場村や与儀村と馬摸合を組織して月に一度、馬勝負(ンマスーブ)をしていた場所です。勝った馬は、島尻郡の大会や那覇の潟原(カタバル、干潟のこと)で年に一回行われた全県大会に出場していました。

 馬場(ンマウィー)は幅10㍍前後、長さ200㍍ほどで、両側には大人3人でもかかえきれないほど大きな松の並木があり、壮観だったそうです。勝負には宮古馬を使い、早足(足組す/デシクマスン)で競っていました。この馬のオブジェは、当時の写真を元に実物大で造られています。 

Img_3254

 また、歩道の大きなガジュマルは、この場所で数十年という長い年月にわたって地域の人達に愛され育てられてきたものなので、那覇市の景観資源として保全されています」

 馬摸合とは、はじめて聞く言葉だ。「摸合(モアイ)」は、大和でいえば「頼母子講」

のこと。何人かで毎月集まり、お金を出し合い、順番に取っていく相互扶助の組織。いまも沖縄では摸合が盛んだ。同級生や職場、地域、出身郷里、共通の趣味などの単位で行い、一人で4,5つの摸合に加わる人もいる。

Img_3263
    古波蔵馬場跡は松並木もあり、「城岳馬場通り」と呼ばれている

 馬摸合は「月何回か定められた日に必ず馬に乗って馬場に集まり、調教を行う。その後料亭などに場所を移して摸合へ。集まった金は新たに競走馬を購入した馬主が優先的に受け取る決まり」だったという(『消えた琉球競馬』)。

 「馬勝負」とは、文字通り馬の競争だ。ただし、沖縄の競馬は、大和のようにスピードを競うのではない。小柄な沖縄在来馬が足並みの美しさを競った。馬具に華麗な装飾を施し、それも加点の対象だった。世界でも類を見ない美技を競う独自のスタイルだった。琉球王朝の時代から戦前まで300年にわたり、受け継がれていた。馬場の数は県内で150を超えていた。『消えた琉球競馬』に詳しく書かれている。

 

 

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