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2013年9月 2日 (月)

古波蔵馬場跡を訪ねる、その2

 古波蔵馬場は、幅10㍍前後、長さ200㍍ほどあったという。「勝負には宮古馬を使い、早足(足組す/デシクマスン)で競っていました」と書かれている。
 
 「早足(足組す)」とは、『那覇市史』によれば<競馬といっても馬をとばすのではなく『脚組す』といって早足(一方の脚は常に地につく走法)で勝負させた>と記されている(『消えた琉球競馬』から)。やはり、中間速で、走りの美しさを競ったようだ。

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 明治45年(1912)に沖縄初の衆議院選挙で当選した2人の当選祝賀競馬が古波蔵馬場で行われたそうだ。1000人も見物客が押し寄せた。総勢100頭が出場したという。
 
 当時の「琉球新報」は、内地の競馬はアレという間に終わるが、本県の競馬は普通ダク(中間速)で乗る勝負であり、少しでも駆けさせたら先に行っても負けになる。「内地の競馬より本県の競馬の方が面白い」と解説している。

梅崎晴光さんは、この速さを競うのではなく、走りの美しさを競う世界でも類をみない琉球競馬を「非武の文化」と解釈されている。これは、琉球・沖縄の歴史と伝統、文化にも詳しい著者の見識だと思う。以上、梅崎晴光著『消えた琉球競馬』から紹介させていただいた。
 琉球王府の時代、腰に刀を差していた大和の武士と違い、琉球の士族は武器は持たず丸腰だった。床の間には刀ではなく三線を飾ったといわれる。走りの美を競う競馬を生み出した背景には、そんな「非武の文化」があるだろう。
 なお、このブログに「『武器を持たない国』琉球王国の実像」をアップしてあるので、関心のある方はそちらを見てください。

 

 
 

 

 琉球競馬は、戦前その姿を消して、いまはまったくない。古波蔵馬場跡を見て、当時のことをしのぶしかない。それにしても、この馬の像は実物大という。いま通常見る馬に比べると、在来馬はかなれ小柄だったようだ。

「ンマハラセー」は今年、沖縄市の「こどもの国」で2度にわたり再現された。その模様はテレビで見た。一度、実際のンマハラセーを見てみたいものだ。

「ユーチューブ」に動画がアップされていたので、それを紹介する。

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コメント

 ンマハラセー(琉球競馬)と、拙著「消えた琉球競馬」を取り上げてくださり、誠にありがとうございました。

梅崎さん、コメントありがとうございました。
こちらこそ、いろいろ教えていただきました。各地を回っていると馬場がよくあるので、「なぜこんなに馬場があるのだろう」と疑問に思っていましたが、著作によってウマハラセーと馬場について、よく調べられていて、とても学ばされました。重ねてありがとうございました。

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