宮古島人頭税物語を歌う上地雄大
那覇大綱挽まつりの始まった12日、奥武山公園で恒例の「オリオンビアパラダイス」が開かれた。野外ステージを楽しみながら、工場直送の生ビールをグビグビ飲めるのが嬉しい。
出演するミュージシャンはほとんど洋楽系なのに、トップバッターだけは、宮古島出身の演歌歌手、上地雄大である。会場に着くと、すでにステージは始まっていた。
歌っていたのは「島の夜明け~宮古島人頭税物語」。宮古出身の彼は、島民を苦しめた人頭税(ニントウゼイ)廃止運動にすごく見識がある。明治後期まで続いた天下の悪税を廃止させた農民のたたかいに共感と誇りをもっている。
これまで、新潟県出身で宮古に来て廃止運動の先導役ともなった中村十作をテーマにした『中村十作と駆けるー宮古島人頭税廃止の指揮官』の著作を出している。
彼のCDオリジナル全集のなかで、「中村十作」を発表している。
宮古島の旧上野村の出身である上地雄大は、「宮古の人のために力を尽くした中村十作の偉業を風化させないためにも、多くの人たちに聴いてほしい。一生かかっても次の世代に引き継ぎたい」(「宮古新報」2010年3月5日)と述べていた。
「宮古島人頭税廃止110周年記念盤」として新たに発表したのが「島の夜明け~宮古島人頭税物語」である。「川満亀吉編」「上原戸那編」。作詞は上地雄大、作曲は、前者が橋田みつのり、後者が竹村次郎である。歌唱と台詞からなっているけれど、まだ詳しい内容がわからない。
宮古島の人頭税廃止といえば、国会請願のため上京した農民代表の西里蒲、平良真牛、それに島外出身の中村十作、城間正安が有名だ。でも今回は、それ以外の運動家に光を当てた。
川満亀吉も上原戸那も、人頭税に苦しむ農民のために立ち上がった人物。このうち、上原は、新城村総代であり、国会請願に上京して宮古でのリーダーが不在の間、民意を掌握し、弾圧を跳ねつけたいわば留守居役だという。生まれた所に、「新城村総代上原戸那生誕之碑」が建てられている。
川満亀吉については、よくわからない。宮古島の旧城辺(グスクベ)町教育委員会の作成した「人頭税廃止100周年人頭税資料展」冊子に、「農民総代会で代表4人を選出」という絵がある。その中で、左端に描かれている人物が「川満亀吉」と説明されている。4人を送り出す側では、川満だけ名前が書かれているので、それだけ運動の先頭に立った人だったのだろう。
上地雄大は、熱血漢で人頭税廃止のたたかいをより多くの人々に広げていきたいと情熱をもって曲作りをしている。しかも、彼は自分の発売するCDを売りさばくために、沖縄だけでなく、首都圏、関西、福岡など各地を回り、それも夜の盛り場の飲み屋を一軒一軒訪ね歩くという活動を何年も続けている人だ。熱情なしにはできない。彼の演歌が好きというわけではないが、人頭税廃止の歴史に思いを寄せるその心情には、大きな拍手を送りたい。
ビアパラダイスの会場は、上地雄大が歌った頃は、聴衆も少なかったが、力を込めて歌っていた。そこには、宮古の「アララガマ精神」がみなぎっていた。「アララガマ」とは、「なにくそ!」と頑張る宮古人の肝心を表している。人頭税廃止もその精神が実ったものだ。
ビアパラダイスは、このあと若いミュージシャンのラップやロック、首里出身のしおりの歌声と続いた。
この日のメインは、ディアマンテスのライブだ。 ラテンのリズムに酔いしれる。
アンコールは、「シェリトリンド」。「最後は踊っていいでしょう」という呼びかけに、それまでガマンガマンだった人たちも総立ちで踊りまくった。
最後は花火が夜空に咲いた。花火の右に光っているのは、ちょうど上ってきた半月である。
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