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2013年10月28日 (月)

放浪の唄者・里国隆

 奄美諸島と沖縄を放浪した盲目の唄者・里国隆(サトクニタカ)さんのことを知ったのは、「琉球新報」2013年10月4日付けの小浜司さんの書く「島唄を歩く」だった。

 路頭で竪琴を鳴らして歌い、樟脳(ナフタリン)を売る。奄美大島の笠利町の生まれである。生後8カ月で失明し、うた、三線を習いお覚えた。12歳の頃、本土から来た物売り行商の老人が竪琴を弾きながら樟脳を売るのを見て、ついて行き、竪琴の弾き方、作り方を学んだという。Photo

 17歳で奄美諸島から沖縄へと行商と漂泊の旅を始めた。戦後は、1947年に沖縄に渡り、以後17年にわたり沖縄の島々、土地を放浪したそうだ。

 昼間は、カンカラを前に竪琴を弾き、夜は盛り場を流した。津軽三味線の高橋竹山を想起させる。

 記事に写真が掲載されている。竪琴と言えば、かつての映画「ビルマの竪琴」を思い出す。でもそんな小さな琴ではない。普通、床に置いて奏でるお琴そのもの。これを縦に立てて抱えて弾いている。「ええっ、これで琴が弾けるのか!」と驚く。どうにも想像を超える。

 実際の演奏を見てみたい。そうなれば、「ユーチューブ」で検索するしかない。検索すると、里国隆の映像のない音源を聴くことができた。でもそれは、どうみても、竪琴ではなく三線の音色だった。三線も上手だ。

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別の動画を探すと、里国隆の後継者の映像があった。国隆の竪琴の音色に魅入られ、今では、制作、販売、演奏もしている盛島貴男さんである。竪琴は、通常のお琴よりは少し短い。だが、それを左手で抱え,膝の上に置いて、右手で弦をかき鳴らす。左手で弦を押さえる弾き方ではない。琴を抱えた左手は、指が空いているので、沖縄の三板(サンバ)か、カスタネットのような打楽器を持って、それでリズムを打ち鳴らしている。

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 これでやっと、竪琴の演奏の様子がわかった。

 「哭き唄」と評された、国隆の唄は、独特の魅力がある。通常の奄美の島唄とはちょっと異なる。魂の叫びのようだ。

 奄美の音楽は、沖縄とはまた違った色合いと魅力がある。

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