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2013年11月 7日 (木)

カツオ節の源流はモルディブ?、その1

カツオ節の源流はモルディブ?

 

 カツオ漁とカツオ節にかかわる話を何回か書いた。そのつながりで、カツオ節の源流についての興味深い話に出会ったので紹介する。

 琉球新報と南日本新聞、高知新聞の黒潮流域三社の合同企画による『われら黒潮民族』がもう20年余前に連載されて出版されていた。それを読んでいると、インド洋のモルディブでは、カツオを使ったヒキマス(荒節)、ワローマス(生節)が作られて食べられており、調味料としても使われているという。

 

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                  『われら黒潮民族』から、黒潮の流れ  

 カツオ節があるのは日本とモルディブだけ
「過去、現在を通してかつお節を作り、その食習が広範に普及している国は、日本とモルディブ以外にない」という。これは、東京の食文化研究家の宮下章さんの著書『鰹節・上巻』からの引用である。モルディブと日本のカツオ節の製法の交流があったという記録、伝承はいっさいないにもかかわらず、「明治年間には、すでに両国の荒節製造までの基本工程が同じだったことが明らかにされている」と宮下さんは説いているそうだ。

 宮下さんは、「日本のかつお節は独自に創案されたのではなく、南方諸国との交流のなかで出現した」と指摘している。

 紀州や土佐でカツオ節が作られるようになったのは16世紀後半。それよりも前に、ブログですでに紹介したけれど、トカラ列島の臥蛇(ガジャ)島で作られていた。種子島の領主だった種子島家の「種子島家譜」に、1513年に臥蛇島から「かつおぶし5れん」などの貢ぎ物があったと記されている。

 一方、モルディブではそれよりはるか前、1343年には、すでにカツオ節が出現。マラッカなどに輸出している。マラッカのほか、インドネシア、ジャワ、中国などにも送っていたという。

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              『われら黒潮民族』から。モルディブのカツオ漁

 マラッカまで輸出されていたとなれば、思い当たるのは琉球の役割である。

15世紀の琉球は大交易時代である。中国、東南アジア、朝鮮、日本など各国と交易し、中継貿易で繁栄していた。

当時のマラッカは、東西交易の拠点。琉球王国も1460年ごろから1511年まで交易使船を派遣して、南方の珍品を輸入していた(「歴代宝案」)。

そこで、カツオ節を輸入したり、その製法が伝わったかもしれない。そして、15世紀には、トカラ列島から琉球に買い付けのために船が来ていたといわれる。モルディブのカツオ節とその製法が、マラッカから琉球を通してトカラ列島、臥蛇島に伝わったかどうかは、推測の域を出ない。でも、「ありえない」とも言えない。十分に考えられることではないだろうか。
 
 

宮下さんは「日本のかつお節のルーツはモルディブかも」と推測しているそうだ。

以上は『黒潮民族』からの引用に少し、勝手にコメントを入れたものである。同書は、最後に次のようにのべている。

「南方の物産を求めてアジアの海に船を繰り出して、食文化交流の橋渡し役をつとめた琉球人の活躍が見逃せない」
 
 「モルディブよりかつお節の出現が遅かった日本。しかし、カビ付けなどの技法を開発して、モルディブの完成品・荒節(ヒキマス)をしのぐ製品をつくりだした」

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