伊能忠敬より早かった琉球国の測量、その3
誤差小さく高精度の地図
「琉球国之図」は今から217年前、1796年に作られたもので、琉球王家が所蔵していた。現在の地図と比べても。誤差が小さく高精度の地図で、当時の世界最先端のフランス測量術を応用して製作されていたことが明らかになってきた。
この地図の実物は、巻物仕立てで、縦47㌢、横85・3㌢の小さな図面に、13万分の1縮尺で沖縄島と周辺離島が正確に描かれている。久米島や伊是名島など沖縄島から遠く離れた島については、一枚の図に収めるために距離を縮めて配置されている。
地図に書き込まれた地域情報も詳細で、200年前の沖縄各地の地理情報を知る上でも第一級の史料だ。
現在の市町村の前身である間切(マギリ)・島や杣山(ソマヤマ、共同利用の山林)別に色分けされている。河川・滝・道路・海岸の岩礁・塩田・港なども図示され、番所・村・城跡・聖地・御嶽(ウタキ)・寺社・火立所(のろし台)などは記号で示されている。
現在の地図にはない海岸の岩礁まで、詳細に描いてその名称まで注記している。図の余白には、朱書きで、各間切・島の外周の長さ、馬場の長さ、首里城から各地の番所までの距離、那覇湊から各島までの距離などが記されている。
以上は、ほとんどは「琉球新報」の記事を勝手に抜書きしたあらましである。
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