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2013年12月 4日 (水)

玉陵をめぐる光と影,、その1

玉陵をめぐる光と影

  首里城の守礼之門を少し西に下ると、左側に琉球王国の陵墓「玉陵(タマウドゥン)」がある。世界遺産に登録されている。代々の国王と正妃、家族が葬られている。第二尚氏の王統を開いた尚円王の子、第3代目の尚真王が、その父、尚円の遺骨を改装するため建立した。 

 久しぶりに大和からの観光客を案内して訪ねた。首里城のにぎわいに比べると、訪れる人は多くない。見事な石積みの陵墓は、とても静寂である。だからだろうか、「玉陵が好きだ」という知人もいる。

墓室は3つに分かれている。中室は洗骨までの遺骸を入れる墓。左側の東室は、洗骨後の王の遺骨を納める墓。右側の西室は洗骨後の王族の遺骨を納める墓である。

沖縄戦で大きな被害を受けたが、1974年から3年余の歳月をかけ復元された。

Img_4020

 第一尚氏の国王は入れない

                         

 

 琉球王国の陵墓といっても、そこには、さまざまな光と影がある。
 
なによりまず、当たり前のことではあるが、琉球を統一した尚巴志をはじめ第一尚氏の7代の国王は入れられていない。尚巴志は、日本でいえば豊臣秀吉にあたる英雄である。その第一尚氏の王統を金丸(尚円王)クーデターで倒して、新たな王朝を開いた。尚円王は、日本でいえば、徳川家康にあたるだろう。尚巴志の子孫は、迫害の対象であり、7代にわたる前王統の国王は、ここには葬られていない。第一尚氏の国王たちの墓は、南城市や読谷村はじめ県内各地に散在している。

 玉陵を見るとき、琉球統一の偉大な功績がありながら、いまなお首里から遠く離れた墓地に眠る、尚巴志はじめ第一尚氏の国王たちのことを忘れてはならない。第一尚氏の墓について、すでにこのブログで紹介したので、興味があればそちらを読んでいただきたい。

 玉陵は、第二尚氏の国王に限られていると言っても、2人の国王が排除されている。

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