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2013年12月17日 (火)

浦添歴史の道、近くにある玉城朝薫の墓

 近くにある玉城朝薫の墓

歴史の道に入っていないが、経塚の隣、前田には玉城朝薫(たまぐすくちょうくん)の墓がある。ユネスコの無形文化遺産に登録された伝統芸能の組踊(くみうどぅい)の創始者である。すでにブログにはアップしてあるが、経塚付近の大事な史跡なので、ついでに紹介しておく。004_2



 墓があるのは前田トンネルの上。階段を上るとすぐ墓が見えた。山の斜面を利用した石造りの墓だ。
 辺土名家の墓とも書かれている。朝薫は、玉城間切(現在の町村にあたる)の総地頭職を務めた家柄の辺土名家の10代目に当たるという。朝薫は、首里王府で、芸能を担当する踊奉行(うどぅいぶぎょう)に任命され、中国から国王の任命のために訪れる冊封使(さっぽうし)を歓待する組踊を初めて創作した。011


 朝薫が創作した「二童敵討」「執心鐘入」など5つの演目は「朝薫の5番」と呼ばれ、いまでも最もよく上演される組踊だ。朝薫は、薩摩や江戸にも上り、将軍の前でも芸能を披露したことがあった。大和の芸能にも精通し、能など大和の芸能の要素も取り入れながら、琉球独自の歌三線と台詞、踊りの総合楽劇・組踊を創り上げた。
 墓はちょうどトンネルの真上にある。朝薫の墓は、以前は那覇市にあると思われていたが、実は1984年、道路計画で調査をして墓を発見し、朝薫生誕300年事業でこれが朝薫の墓であることを確認したという。墓の発見で、道路は山を崩さずに、トンネルを貫くことにしたという。
 戦争で、墓は破壊された。2005年に60年ぶりに復元された。1933年にこの墓を撮影した写真があり、それを参考にして復元したという。

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