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2013年12月14日 (土)

浦添歴史の道、安波茶橋

石積みの安波茶橋

  

「歴史の道」でもっとも見たいと思っていのは、安波茶(アハチャ)の石橋である。写真で見たけれど、石積みのアーチ橋が見事である。Img_4176

 

 このあたりは、起伏の多い地域である。小湾川が流れる。現在、通行する整備された道路の川にかかる橋は大きく、とても高い地点にある。でも、琉球王府の時代、橋を架けるのには、川端のもっとも低い場所が適地となっただろう。安波茶橋は、浦添工業高校のそばで、長い階段を下りて行った場所にあった。

 

石橋は、現場を見るまでは一つの橋と思い込んでいたが、実際は二つの石橋からなっている。小湾川に架かるのが南橋。こちらが大きく、いわば本橋だろう。その北側に、アブチ川に架かる北橋がある。川というより、小さな谷である。

Img_4181

すぐそばにある説明板から紹介する。

 

 安波茶橋と石畳道は、1597年に尚寧王の命で浦添グスクから首里平良までの道を整備したときに造られたと考えられています。首里城と中頭・国頭方面を結ぶ宿道(幹線道路)として人々の往来でにぎわい、国王もこの道を通って普天間宮に参詣しました。

 橋の下流側には、赤い皿(椀)で水を汲んで国王に差し上げたと伝えられ赤皿ガーがあります。Img_4186

 安波茶橋の上流は、小川のせせらぎのようで、水が流れている。でも、下流側は、滝つぼのような淵になって、満々と水をたたえている。だから、架橋が「難工事」だったことは想像できる。

 

石橋の前後は、石畳道である。かなれ大きな石を敷き詰めてあり、こちらも見事である。

 

Img_4185 琉球王朝時代に、首里王府からの令達などのために使われた宿道の一つ中頭方西海道の一部に当たる。首里城を起点に平良、大名を通り、浦添市の沢岻、経塚、安波茶、仲間、牧港を経て読谷に至るルート。北の恩納、国頭方面につなぐ主要道路だった。

 

 安波茶の石畳道を整備する事業が5カ年かけて行われ、2006年度で完了した。丘の上から谷の安波茶への向かう昔の「公事道」が復元され、地域住民の通行路としても利用されている。

 

 安波茶橋から経塚方面に向かう坂道は、かつては石畳道が残っていた。一部を地中に残す形で保存したそうだ。古い石畳道の説明板があった。「今も地中に眠る石畳道」と書かれており、この場所の地下約1・5メートルには発掘された石畳道が保存されているそうだ。でも、いまは説明の写真でしか見ることができない。

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

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