無料ブログはココログ

« 今帰仁の今泊を歩く、フクギ並木 | トップページ | 今帰仁の今泊を歩く、フパルシの巨木 »

2014年1月28日 (火)

今帰仁の今泊を歩く、馬場跡

マーウイ(馬追い)を楽しんだ馬場跡

今泊の集落の中央部を東西に大きな道路「プゥミチ(大道)」が伸びている。集落内は、細い路地が縦横に走っているが、ここだけはけた違いに広い。

「マーウイ(馬追い)」とも呼ばれ、もともとは馬場として住民になじまれてきた。馬場跡は、幅は8―11㍍、長さは250㍍ほどあるだろうか。
 沖縄はかつて、琉球競馬(ンマハラセー)が盛んだった。競馬にしては少し短くないか、との疑問が出る。だが、走りの速さを競うのではなく、走りの美しさを競う琉球競馬なら、これくらいの長さがあれば十分だったのだろう。

Img_4631
               大道の馬場跡

琉球競馬は、小柄な沖縄在来馬が、スピードではなく、走る足並みの美しさを競った。馬具に華麗な装飾を施し、それも加点の対象だった。世界でも類を見ない美技を競う独自のスタイルだ。琉球王朝の時代から戦前まで300年にわたり、受け継がれていた。県内各地に馬場があった。その数は150を超えていた。
 
 梅崎晴光著『消えた琉球競馬』に詳しく書かれている。琉球競馬についてはすでにブログで書いたので、そちらを参考にしてほしい。Img_16351
 70年ぶりに復活したンマハラセー(琉球競馬)=琉球放送のテレビ画面から

今泊の馬場の歴史は古い。1710年に、琉球王府で名高い政治家、「蔡温(サイオン)が山原(ヤンバル)を巡回した時、親泊(現在は今泊)の馬場を詠んだ漢詩「戯馬台即興(親泊にて)」がある。310年以上前の今泊の馬うい(馬場)と競馬を楽しむ人々の姿が、眼前に浮かび上がってくるようよう漢詩だ。それは別途、紹介する。

今泊の大道は集落の真っただ中に位置しており、住民のさまざまな行事にも欠かせない役割を果たしてきた。戦前のアブシバレー(畦払い)と呼ばれる雑草を刈り害虫を払う行事、昔から集落に伝わる豊年祭の舞台ともなった。

 

« 今帰仁の今泊を歩く、フクギ並木 | トップページ | 今帰仁の今泊を歩く、フパルシの巨木 »

旅行・地域」カテゴリの記事

コメント

 梅崎と申します。拙著「消えた琉球競馬」をご紹介いただき、ありがとうございます。今帰仁村今泊には友人が多く、大道の馬場跡によく足を向けております。

 梅崎様。コメントありがとうございました。
 梅崎さんの著作のおかげで、地域回りをしても、馬場跡に興味がわくようになりました。仲原馬場跡もいつも素通りだったけれど、今回は見てきました。この後、アップする予定。そこでも梅崎さんの本から勝手に引用させていただいています。
 先般は馬事文化賞の受賞おめでとうございます。図書館でも著作がよく借りて読まれているようですよ。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1384216/54780167

この記事へのトラックバック一覧です: 今帰仁の今泊を歩く、馬場跡:

« 今帰仁の今泊を歩く、フクギ並木 | トップページ | 今帰仁の今泊を歩く、フパルシの巨木 »

最近のトラックバック

2017年8月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31