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2018年4月14日 (土)

北山王国をめぐる興亡、その9

 北山監守一族の世替り

  第一尚氏時代の北山監守は、初代護佐丸、二代尚忠、三代具志頭王子までの52年の間、北山地方を統治した。第一尚氏の尚徳王を追放し、金丸がクーデターで王位についた際、今帰仁城はどうなったのか。『琉球王国の真実』は、次のように記している。
 今帰仁城では具志頭按司が北山監守(代官)として「今北山」を守っていたが、金丸による“世替り”で一族は方々に逃げ隠れた。具志頭按司と長男の若按司は具志頭間切新城村に逃げて、屋号仲村渠(ナカンダカリ、仲村姓)の養子になり仲村渠門中(ムンチュー)の祖になった。
 次男岡春(ウカハル)の子孫は今帰仁城から諸志村に移り住み、屋号原屋(ハラヤー)の祖になった。  瀬底島に逃げた一族は内城を築き、大底(ウフスク)門中と称した。
 伊江島に逃げた一族は東江上(アガリーウィ)の屋号石橋の祖になった。 『古琉球三山由来記集』は、「尚徳王が亡んだ時に、今帰仁城もともに破れ、その子孫は各所に離散しました。この子孫だと称する旧家が、小禄間切、豊見城間切、摩文仁間切。東風平間切、羽地間切、宜野湾間切等にあります」とのべている。
 第二尚氏の始祖となった尚円王は、重臣のなかから北山監守を選任し、輪番にこれにあたらせた。三代目の尚真王は、北山監守は重要な守護職として、三男尚昭威を任じ、北山地方の統治を強化した。尚真王は、地方の按司たちを首里に集居させ、武器を取り上げ、中央集権を強めたが、北山だけは、今帰仁城にいて監守していた。七代監守の際、今帰       仁城から首里に引き上げ、その後は首里に居住して監守の役をつとめた。

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                  今帰仁城跡

  「元は今帰仁」

  「仲北山」の遺児の今帰仁子から広がった伊覇按司一族の発展は、尚巴志王と姻戚を結んでことにより発展し、沖縄中に子孫を残した。それで、後世の人は「ムートゥヤ・ナキジン」(元は今帰仁)というようになったが、「仲今帰仁城主」や「後今帰仁城主」も元をただせば浦添城の英祖王の子孫でさらに大元は大里天孫氏や玉城アマミキヨの先祖に結びつく。結局、「ナキジンヌムートゥヤ・タマグスク」(今帰仁の元は玉城)なのである。

 以上が北山の今帰仁城をめぐる興亡の伝承のあらましである。伊敷賢著『琉球王国の真実―琉球三山時代の謎を解く』は実際には三山全体の歴史について、詳細な伝承を集め、体系的に記している。
 北山関係だけ抄録すると、系図の説明をしているようで、面白みに欠ける。ただ、これまでよく知らなかった北山の歴史、それも古い時代からの「先北山」「仲北山」「後北山」さらには「今北山」という王統の交代に応じた時代区分がされているので、理解しやすい。
 それにしても、北山の支配をめぐる攻防だけを見ても、戦国史をみるような激しさである。今帰仁城主が交代するたびに、前の城主と一族、家臣らは北部から中南部に落ち延びた。本島各地に今帰仁から逃れた人たちの子孫が住み、たくさんの伝承が残されていることは、もっともである。
 逆に、南山では、幾度もの争いと南山滅亡によって、勝連半島や周辺離島、さらには久米島、先島、朝鮮半島にまで逃げ延びたという伝承がある。
 いうまでもなく、記述はあくまで言い伝えられてきたことであり、そこには脚色された物語もある。伝承といっても同じ事柄でいくつもあって、どれが真実に近いのかもよくわからないこともある。
 ただ、史実が詳細に分からない以上、伝承を調べることは、史実に接近する糸口になるだろう。また、伝承はかつて、つわものたちが争った時代と歴史への想像をかきたててくれる。そこには、歴史のロマンがある。
 各地を歩いていると、今帰仁から逃れた話や今帰仁にかかわる人物の墓所もある。今帰仁に向かって祈願する今帰仁遙拝所がある。伝承は、たんなる言い伝えにすぎないとしても、各地の北山の興亡にかかわる史跡は、物言わないけれどたしかな歴史の重みを感じさせてくれる。そんな史跡などに出会った時、北山をめぐる攻防の伝承と歴史を思い起こしたい。これまでとは、また違った目で見ることができるだろう。

   終わり     文責・沢村昭洋

 

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