北山王国をめぐる興亡、その2
「昔北山」のはじまり
ここから話は北山に入る。伊敷賢著『琉球王国の真実』から紹介する。
天孫氏25世の今帰仁王子が「御先北山」の山原(ヤンバル)地方を治めていた。源為朝が1165年に伊豆の大島から琉球に来て、運天港に上陸して間もなくガソー屋の娘(後の勢理客=ジッチャク=ヌル)との間に大舜(タイシュン)が生まれたという根強い伝説がある。
伊敷賢著『琉球王国の真実』から
大舜が長じて「御先北山」を攻め、今帰仁按司を亡ぼし、「先北山」初代として今帰仁城主となった。「先北山」のことを「古北山」とか「昔北山」という古老もいる(別表参照)。
『今帰仁村史』は、北山の時代区分が異なる。舜天王統の始まる前までを「前北山」(先北山)とし、1187年に「前北山」が終わったとする。それ以降、1322年、怕尼芝(ハニジ)に滅ぼされるまでの135年間を「中北山」(仲北山)時代としている。中北山が滅ぶ時期も異なっている。
『村史』では、大舜は、舜天の兄にあたるという。天孫氏25紀に、その王統を亡ぼしたとされる権臣利勇を舜天が亡ぼして中山王になってから、今帰仁に住んでいた兄の大舜を助けて、今帰仁城の天孫氏を追い出して大舜を城主にしたと考えられる、という。また、もともと北山が天孫氏の支配下にあったのではなく、天孫氏は今帰仁から次第に中南部に広がったという見解である。
今帰仁村歴史資料準備室編集の『なきじん研究1993vol3 今帰仁の歴史』では、特に文献に出てくる14世紀以後の今帰仁を次のように時代区分している。
①グスク時代(狭義)……山原各地にグスクが割拠していた時代(11,12世紀~13世紀末)
②山北王時代……怕尼芝・珉・攀安知が明国と交易をし隆盛をきわめた時代
③第一監守時代……尚忠、子弟(具志頭王子)が監守を勤めた時代(略)
注・「先北山」「中北山」の時代は「グスク時代」として一括されている。
ここで「山北王時代」というのは、今帰仁城が築かれてそこを拠点として山原地域を統括していた時代をさしている。…山原で権力が集約され、今帰仁城を拠点として山原を支配していった時代である。対外的には、一国として交易を行い、「山北王」が文献に登場(『明実録』など)してくる時代でもある。
今帰仁城跡
英祖王系統が支配者に
『琉球王国の真実』に戻る。
大舜には男子がなかったので、舜天王統の2代目、舜馬王の子を「先南山」から養子に迎え、「先北山」二代目として今帰仁按司と称した。
今帰仁按司にも男子がなかったので、三代目は義本王(舜天王統の3代目中山王)三男の今帰仁王子が養子になった。4代目今帰仁若按司は「先南山」の養子になった。
「先北山」二代目の時に義本王が退位したため、新しい中山王になった英祖は次男湧川王子を北山に送り込み、北山世之主と称し、「仲北山」初代とした。湧川王子は旧「先北山」系の本部大主(ムトゥブウフヌシ)と姻戚を結び、徐々に今帰仁地方を治めていった。本部大主の父は、義本王の庶子の本部大君である。
(つまり、「先北山」では舜天王・義本王の系統が支配していたのに、義本王が英祖王にとって代わられ、北山も英祖王の系統で支配されることになった。ここから「仲北山」の時代に移る。同じような名前がたくさん出てくるので、頭が混乱する。それで、義本王や英祖王の系統として整理をすると理解がしやすいので、そのように説明する)
『今帰仁村史』は、義本王を押し出し王位について英祖は、舜天に滅ぼされた天孫氏の直系であり、「英祖によって元の天孫氏が復活されたのである。いわば、天孫氏系は、その仇を討って、元の王位の座におさまったのである」とのべている。
北山に送り込まれ「仲北山」初代となった英祖王の次男、湧川王子は、地元有力者の先代・湧川大主の嫁を娶り勢力を安定させていったが、「先北山」の家臣には服属しないものも多かった。湧川王子には、長男・湧川大主と次男・今帰仁按司がいたが、本部大主の婿となった今帰仁按司が「仲北山」2代目を継いだ。
本部大君の息子の本部大主は、祖父王(義本王)の失脚で英祖王次男・湧川王子の家来になっていて、娘は今帰仁按司の夫人になっていた。
中年まで子がなかった今帰仁按司は、今帰仁で一番の美人・志慶真乙樽(シキマウトゥダル)を側室に迎え、ようやく男子が生まれ千代松金と名付けて大事に育てられた。
(志慶真乙樽は絶世の美女で、王のために尽くしたとして、伝説、民話がある。今帰仁城跡には、彼女のことを詠んだ琉歌の大きな歌碑がある)
千代松金が1歳にならないうちに王は病気で亡くなった。死ぬ前に王は重臣を集め、跡継ぎは皆で協議して決めてほしいと遺言した。
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