国場の登野城御嶽を再訪する、その2
霊地巡り
霊地巡りは、古くから各地にあり、拝む場所、方法等さまざまである。「御廻り(ウマーイ)」と呼ばれる。 「古来本県は、アマミキヨに関係ある土地の嶽々森々・城跡・古井泉を始め、王族按司(アジ)の経世に関係ある所を主として、各氏族祖の生活していたと信ぜられている所を参詣してきた。民族祖に関する霊地は、主に本部・知念・玉城に多く、ここへの参詣を俗に『東り巡り』又は『島尻拝み』といひ、国頭郡の今帰仁は、尚家の遠祖尚円御発祥の地、伊平屋への遙拝をする所であるので、ここへも参詣し、これを俗に『今帰仁拝み』といっている。これ等拝所の所在地又は其の附近の人々は、年中行事のやうに毎年定った参拝をしているが、遠い所では2年・3年・又は5年・7年・9年・10年あるいは12年に1回といふように、廻年的に霊地参に行く」(『国場誌』、『島尻郡誌』からの引用)。
登野城御嶽(トノシロウタキ)
国場では「東御廻り(アガリウマーイ)1~3」「今帰仁御廻り1~3」「島尻御廻り1~2」「イージュ御廻り(首里・浦添)1~2」「崎樋川御廻り」「大里御廻り」「瀬長御廻り」がある。
昔は霊地巡りはとても盛んだった。4,5日あるいは10数日を要し、部落の神人や氏子の代表、青年男女数十人らがにぎやかに参拝したそうだ。ただ、ところによっては、遙拝所を設けてこの霊地参詣を全廃しているところもある(『国場誌』、『島尻郡誌』からの引用)。 遠くまで行けなくても、霊地の方向に向かって御願する。 登野城御嶽は、住民にとって重要な拝所である。
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