元が来襲した瑠求は沖縄
モンゴル帝国・元は、琉球(原文は瑠求)に来襲した。これは、『元史』外国伝に書かれている。ただ、元が来たのは沖縄ではなく台湾だという説が有力である。
しかし、『元史』に書かれている黒潮のことが考慮されていないようだ。
元は、1292年、1297年に、琉球に軍を派遣したが、沖縄の人々は力を合わせて拒(ふせ)ぎ戦い元は帰ったと『中山世譜』は記している。
『元史』は黒潮について次のようにのべている。
「瑠求の近くに落漈(黒潮)がある…台風で漂流し黒潮に流されると、百に一つも帰って来れない」。これは、琉球に渡るのに黒潮を越えることを意味する。冊封使は黒潮をとても恐れたという。
黒潮は、台湾の東沖を流れ、与那国島との間を抜けて東シナ海を北上する。中国から琉球諸島へは黒潮を越えなければ行けない。中国と台湾の間は、黒潮が流れていない。しかし、 台湾と中国の間にも「黒水溝」が流れていた。だから、これだけでは断定はできない。
『元史』は、琉球は澎湖諸島に向き合っていると記し、沖縄ではない根拠とされている。
この表現が初めて書かれたのは、元代の中国の政書『文献通考』(馬端臨撰、1317年)である。ところが、引用文献と見られる地誌『諸蕃志』(1225年)は、澎湖と向き合うのは琉球のそばにある毗舍耶国( ビサヤコク、台湾と思われる)と記す。この毗舍耶国を沖縄と混同して琉球の説明として書いた疑いがあることが文献研究により解明されている。それは後に編纂された『宋史』(1345年)『元史』にも受け継がれている。とすれば、澎湖と向き合うのは沖縄ではない。
以上によって元が来襲した琉球は沖縄であると考える。
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