歌碑のある風景、戦場の哀れ歌う「二見情話」
「戦場の哀れ」歌う「二見情話」
このテーマで前にアップしていたが、いつの間にか画面が暗くなって読めなくなっていたので、再度アップする。
名護市の東海岸にある二見(フタミ)には沖縄戦のあと、難民収容所があったそうだ。そこにいた照屋朝敏氏が作った民謡に「二見情話」がある。ウチナーンチュがとても好きな曲だ。男女掛け合いで歌う。私たち夫婦も好きだ。
「♪二見美童(ミヤラビ)や だんじゅ肝清(チムヂュ)らしゃ 海山の眺み 他所(ユス)にまさてぃよ」=二見の乙女は とっても心が美しい 海山の眺めは またどこにもまさる美しさだ。
「♪待ちかにて居(ウ)たる 首里上(スイヌブ)いやしが 出(イン)ぢ立ちゅる際(チワ)や 別りぐりしゃよ」=待ちかねていた 首里に戻る日がやってきた 出発する際に お別れしなければならないこの辛さよ。
「♪戦場(イクサバ)ぬ哀(アワ)り 何時(イチ)が忘(ワシ)りゆら 忘りがたなさや 花ぬ二見よ」=戦争による悲惨さは いつか忘れられるだろうか それにしても忘れがたいのは 花の二見のことだ。
二見の女性、親しんだ人々の心の清らかさ 景色のうつくしさ、別れの辛さを歌いながら、平和への思いが込められている。
曲を作った照屋さんは、南部の摩文仁から米軍の命令によって、他の投降者らとともに船で、名護市の大浦湾に入り、この二見に来た。村民は快く迎え入れてくれ安心したそうだ。ある日、村長事務所で年長者会議があり、その席上で二見の唄の創作の要請があり、二カ月後に完成したのがこの唄だという。
「これは平和祈念と二見の人への命からなる感謝をこめた御礼のメッセージでもある」。
いま二見に建立されているこの唄の歌詞を刻んだ記念碑に、照屋さんはこう記している。
歌碑を見ていて奇妙なことに気付いた。いま歌われている歌詞は六番まであるのに、この歌碑は五番までしかない。いま歌っている「行逢(イチャ)たしや久志小(クシグヮ)⋯⋯」(出会ったのは久志だった)という三番の歌詞の部分がない。なぜなのか。照屋さんが作詞した当初はなかったのが、その後付け加わったのだろうか。沖縄民謡では、他の人が付け加えるというのは、よくある話だ。それに、歌詞集にのっている歌詞と歌碑とまた少し違いがあるのもよくあることである。
この美しい二見と大浦湾はいま危機に立たされている。というのは、日米両政府がすぐそばの、辺野古(ヘノコ)の浜辺と海を埋め立てて、V字型の滑走路を持つ巨大な米海兵隊の新基地を建設しようとしているからだ。騒音被害や墜落の危険で住民生活は壊され、ジュゴンのえさ場となっている青く澄んだ海も破壊される。美しい風景は激変する。こんな無謀きわまりない計画は、絶対に許してはいけない。
名護市安部のビーチ
同じ名護市の東海岸の大浦湾に面した安部(アブ)にあるカヌチャベイホテル&ヴィラズに泊りに行った。海の眺めがとてもよい絶好の位置にある。80万坪の広大な敷地に、本格ゴルフコースからプール、展望浴場・サウナ、フィットネスなどの施設と多彩なホテル棟が建ち、レストランに行くにもトロリーバスやカートに乗るほどだ。「心の楽園」「ゆとリズム」などが売り。のんびりと過ごせた。
ここは、名護市の汀間(テイマ)から安部にかけ広がっている。この地名、民謡に詳しい人ならピンとくる。そう。「汀間当」の唄の舞台だ。
「♪汀間と安部境の川の下浜降りて、丸目加那と請人神谷が逢っていた 恋の話、本当か、真実かや」(訳文)と歌い出す。村の美人・加那と王府の役人・神谷の恋を、村の若者たちがはやし立てる内容だ。早弾きでテンポがよく人気がある。その歌碑が、なんとホテルの敷地内にあったのにはビックリした。ただ、歌碑の写真を撮り忘れた。
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