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日記・コラム・つぶやき

2018年4月13日 (金)

お詫び

 「レキオ島唄アッチャー」ココログブログをお読みいただきありがとうございます。
 現在、一部の掲載記事について、表示画面が真っ黒になって読めない状態となっています。同じシリーズの記事でも、通常に表示されるものと、真っ黒画面と両方があり、どこに原因があるのかまだ不明です。修復作業をしていますが、まだ改善されていません。しばらくご迷惑をおかけします。
 場合によっては、現在更新している「FC2ブログ」にアップすることも検討します。よろしくお願いします。
  レキオ島唄アッチャー管理人

 

2014年2月21日 (金)

芋けんぴのルーツ

 高知の名物お菓子に芋けんぴがある。サツマイモを揚げて砂糖をからめたものだ。親類から送られてきた。高知に住んでいるときは、ごく普通のお菓子だった。沖縄に住んでいると、めったに食べない。なにか懐かしい気がする。

Img_4907 製造元を見ると、芋屋金次郎。前はなかった今風の名称だ。中に入っていた、チラシを見ると、日高村にあり昭和27年に先代、澁谷金次郎が「澁谷食品」を創業したとある。旧社名なら知っているし、芋けんぴで有名だった。日高村の店舗にも寄ったことがある。

 なぜ高知で芋けんぴを作りだしたのか。

 サツマイモが薩摩から土佐に伝わったのは江戸時代1735年。薩摩のかつお船が土佐清水に入港した時に、芋を持ってきていたという話が伝わっているという。

 甘藷はもともと1604年、琉球の野國総管が中国から持ち帰った。それがのちに薩摩に伝わり、全国に広がった。Img_4908

 土佐でも盛んに作られるようになった。昔から、土佐人は日常食であるサツマイモを貴重な油で揚げることで、ハレの食として用いてきたという。
 「芋屋金次郎」の創業者、澁谷金次郎は、戦後まもなく、揚げ菓子を作り、自転車の荷台に載せて売り歩くようになった。やがて試行錯誤を繰り返しながら、芋けんぴづくりに取り組んだという。

 沖縄は、かつてはサツマイモが庶民の主食だった。いまでも夏でも冬でも焼き芋をよく食べる。JA直売所では、たくさんの種類の芋が売られていて、みんなよく食べる。

 沖縄は揚げ物が大好きだから、芋の天ぷらはある。でも、芋けんぴのように、芋を揚げたお菓子はない。ただ、紅芋を使った「紅いもタルト」など、人気のお菓子になっている。

 

 芋けんぴを食するときは、こんなルーツに思い出しながら味わいたい。

2014年2月19日 (水)

天空の鉄板焼きパーティー

 アルテ崎山の通称「ロケットビル」の11階、半ば屋上的な場所で「てっぱんの会」があった。オーナーの越智さんから、是非にというお誘いで出かけた。ここは、夜景のきれいな天空の階。そこにバーベキューのできる鉄板があり、隔月で焼肉パーティーが開かれている。

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 1年ぶりくらいの参加だ。ミュージシャンで料理人を自称するothis・yoshiさんが、張り切っていると聞いていた。ヨッシーさんは、大阪出身。もともとパナソニックの社員で、アメリカにも駐在し、本場の音楽を吸収して、腕を磨いてきた経歴の持ち主。

 この日は、鉄板の上で、市販のお好み焼きを使いながら、いろんな食材をトッピングして独自の味付けをする。食べてみると、なんかお好み焼きの小麦粉の味はもはやない。「これはもう、お好み焼きを超えてますね」と言うと、「そういっていただければ嬉しいね」と料理人は喜んでいた。

Img_4898 この後は、牛カルビや骨付きカルビ、焼売など、焼けた肉、野菜を美味しくいただいた。越智さんが名護でもらったという島ラッキョウの塩漬けもたくさんいただいた。
 この日は、なぜか参加が少なく、越智さんは誘いの電話をかけまくる。近くの真由美さんがかけつけてくれて、総勢5人。少ないことで、余計に和気あいあいの雰囲気になった。

 食べたあとは、ヨッシーさんがギターを手にブルースを披露。料理以上に素晴らしい腕前だ。こんな、ほれぼれするブルースはめったに聴けない。Img_4903
 日頃は、沖縄市でライブ活動をしている。アルテにもたびたび顔を出す。沖縄がすっかり気に入っているそうだ。
 私も歌三線で「八重山」、ツレとデュエットで「二見情話」を歌った。越智さんのギターを伴奏に女性たちも歌った。

Img_4905 楽しい「てっぱんの会」だった。
 

2014年2月14日 (金)

おでんが美味しい「おふくろ」

 沖縄は、おでんをけっこうよく食べる。なにしろ、寒さ、暑さ関係なく年中食べるところだ。それに、テビチ(豚足)が入るのが沖縄流だ。先日、テレビでも紹介された那覇市久茂地の有名なおでんと家庭料理の店「おふくろ」に、アルテの音楽好きの仲間と行った。

Img_4863 驚くのは、おでん、刺身、サラダ類食べ放題、飲み放題で2000円という安さであること。ただし、ビールは3杯、酎ハイ5杯、泡盛は無制限だ。

 アルテの仲間で1月に一度出かけたが、その時は都合悪くて参加できなかった。2月に是非もう一度、ということで八重山民謡唱者の杉田園が予約を取ってくれた。なにしろ、大人気店なので予約なしに行っても、席がない。7時に行くともう予約席以外は、満杯状態だった。Img_4867
 食べたい物をおでんの種類が印刷された用紙に、記入して何回でも注文できる。まず登場したのが、山盛りのチマグ(足先)と大根。テビチもすぐに追加された。豚足全体を足テビチと呼ぶそうだ。どちらもコラーゲンたっぷり。柔らかい。味付けは若干違った。Img_4868
 トマトもおでんにあるとはこれまたビックリ。昆布、牛スジ、ジャガイモ、豆腐、コンニャクなどなど次々運ばれる。
Img_4866 企画してくれた園さんもさっそく写メに撮る。
 おでんの注文は自由だが、食べ残すと罰金があるというルール。ひたすら食べつくす。
Img_4869 ギターサークルのYさんも、おでんの山を前に幸せそうな表情だ。Img_4874 メンバーは、もうお腹いっぱい。ビール、泡盛も十分飲んだようで、みなさん上機嫌。楽しい集まりでした。



2014年2月 3日 (月)

ラジオリスナーの楽しい新年会

 RBCラジオのリスナーが集う新年会が那覇市久茂地のレストランで開かれた。沖縄はラジオを楽しむ人が多い。ローカルな話題はラジオに限る。リスナー参加の番組が多く、リスナー同士の交流も広がる。
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 新年会も、リスナーの提案で実現した。「団塊花盛り」の火曜日「GSコーナー・あの時君は若かった」&日曜日「ホリデー・イン・ポップス」の二つの番組合同である。両番組とも、パーソナリティを箕田和男さんが担当しているからだ。 

 箕田さんが、参加者をラジオネームで一人ひとり紹介。久しぶりに見る顔ぶれや名前は聞いていても初めて顔を見るリスナーもいる。Img_4769_2

 私たちのテーブルは、糸満ライブで集うお仲間たちだ。
飲み放題、食べ放題なので、生ビールをグビグビと飲み、ピザ、パスタなど料理をいただく。1時間ほど食べた後は、沖縄唯一のGSバンド、SSカンパニーのライブ。10曲ほど続けて演奏した。

 Img_4783 いつもと違うのは、ドラムセットは持ち込めないので、ドラムの代わりに箱型の打楽器「カホン」を叩くこと。箱に腰掛けるのはペルー式だという。ライブが盛り上がると、もう踊り出す。Img_4791

 箕田さんもマイクを握り、得意のGSナンバーを歌った。Img_4794_2
 ライブの後は、DJ高橋によるディスコタイム。高橋さんは、いまRBCで「団塊花盛り」のパーソナリティなどやっているが、福岡にいた当時は、ディスコでDJをやったことがある腕前。
 ディスコサウンドにのってみんな踊る。踊る。リスナーは音楽好きというだけでなく、踊りも大好きなのである。

 
Img_4808 ラジオを通してつながりの輪が広がるというのも、沖縄ならではかもしれない。リスナーの近況もわかる。なので、私が正月から風邪をひいて寝ていたことも、リスナーとライブ仲間に知られていて、この日も「風邪はもう大丈夫ですか」「元気になってよかったですね」と声をかけられた。
 2年前、東京から移住してきた金武町のSさんも、ラジオとライブを通して友達が増え、「東京では考えられなかった。沖縄に来てホントによかったわ」とこの日も楽しんでいた。
 楽しいリスナーの集いは、毎年開いてほしいというのが、参加者の声だった。




2014年2月 1日 (土)

花と食のフェスティバル2014

 おきなわ花と食のフェスティバル2014が那覇市の奥武山公園で開かれたので出かけた。いつもは、まだ寒いが今年は汗ばむ陽気だ。Img_4749JAの直売所は野菜を販売。どれも安くて新鮮。とりあえず最初に買うと持ち運びが大変なので、帰りにセロリ、ニンジン、はんだまを買った。

Img_4755 今年は鮮魚のコーナーが充実。高級魚のミーバイ(ヤイトハタ)を豪快に網で焼いて売っている。鮮魚のブースでは、各店が試食で味自慢のコンテストをやっていて、「どうぞ食べていてください。アンケートで投票よろしく!」と選挙のような掛け声が飛んでいた。Img_4757 十数種類食べたが、一押しは「ミーバイのしゃぶしゃぶ」。Img_4759
 とっても「まーさん」(美味しい)だ。当然アンケートでは1位に押した。Img_4762
 恒例の黒糖づくりの実演もやっていた。子どもの参加して、キビを絞る機械に懸命にサトウキビを入れている。


 今年の目玉は、実は「まーさん市場」。肉類の販売ブースである。Img_4752
 ヤギ肉も試食した。今年は、ここで買った肉をすぐ隣のテントで、七輪を無料で貸してくれ、バーベキューができること。Img_4763
 おきなわ和牛のもも肉、バラ肉(カルビ)各200g買ったら、おまけに豚ロース100gを無料でくれた。

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 ジュージューと七輪での炭火焼。ただ、なぜか火力が弱い。なかなか焼けない。係りの人に言うと「じゃあ七輪を替えましょう」と取り替えてくれた。火力が強くなると、肉の油が滴り、焔があがる。七輪ならではの味わいだ。Img_4766

 ただ、野菜がないので、ひたすら肉ばかり食べる。脂っぽい。「野菜を持ち込めばよかったな」。そんな思いがした。だがお腹は満腹だった。

 









2014年1月31日 (金)

今帰仁の今泊を歩く、「豊年口説」の歌碑

「豊年口説」の歌碑Img_4625
 今泊の公民館前のフパルシ(コバテイシ)の老巨木のそばに歌碑がある。
「豊年口説(クドゥチ)抜粋」だという。

馬場跡は、今泊で大きな行事、豊年祭の会場となっている。伝統を持つ今泊の豊年祭は、5年に一度、旧暦8月に行われているが、「豊年口説」は舞台の一番初めて演じられる祝儀舞踊「長者の大主」の中で歌われる曲だという。

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 碑文は抜粋でもあるし、読みにくい。この曲の大意を紹介する。

「北山城(今帰仁城)の御ひざ元のめでたい所、そこは、常盤なる松の木が緑を湛え、鷺と烏が巣を作っている。そして四方の畑には一杯作物が実っている。人も鳥もおおらかに暮らしている…」

 

 歌意は、ネット「沖縄の古典文学(琉歌編)」(引用文献は「沖縄文学碑めぐり」垣花武信・東江八十郎著)から紹介した。

2014年1月25日 (土)

今年初の氷ぜんざい

 正月から寒い日が続いていたのに、24,25日と一転して暖かい好天に恵まれた。というか、25日は太陽が照り付けると、もう夏を予感させるような陽気。最高気温が23・3度になった。

 「あれだけ寒かったのに、寒さが緩むと一転してもう暑い感じ。こうなればアイスぜんざいを食べたーい!」というツレの希望で、さっそく那覇市久米大通りにある「千日」に行った。

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 沖縄のぜんざいといえば、氷ぜんざいだ。千日は、なかでも目下のところ「沖縄ナンバーワン」の美味しさだ。氷がふわふわで山盛り。小豆ではなく、もっと大きい金時豆を煮てあるが、甘さが丁度よい。白玉は入らない。Img_4728 千日に行くのは、3か月ぶりくらいだろうか。おかみさんが「久しぶりですね。今日は暑いものね」と声をかけてくれた。千日では常連客なのだ。結構お客さんがいて、ぜんざいを食べている。年末以来、ガタガタ震えるほど寒かったのが、うそのようだ。

  まだ一月だけど、氷ぜんざいが美味しいというのも、沖縄の冬の特徴である。 

 そういえば、24日は旧暦で12月24日。「ウガンブトゥチ(御願解き)」と言って、一家の守護神である「火の神(ヒヌカン)」が厄を預かって天に里帰りをする日。各家庭で起こった1年間の出来事を報告する日だといわれる。旧暦の1月4日、「火の神迎え(ヒヌカンウンケー)」に戻ってくるそうだ。

 24日に近くを散歩していると、おばあちゃんが屋敷の周りで祈っている姿が見られた。1月31日が旧正月になりますね。

2014年1月24日 (金)

古希祝いのサプライズに感激

 糸満市の「風は南から」で、フォーク歌手のふーみさんのライブがあり出かけた。今回は、相棒の良明さんが不在のため、一人でフォーク、洋楽から三線ナンバーまで歌う「ミスター☆ジョークマン」のライブだ。Img_4680
 ジョークマンライブは、アコースティックギターからエレキギター、三線2丁、キーボードまで一人でこなして歌う。すごい技量とエネルギーだ。
 いつものユニット「F&Y」は敬遠気味だったライブ友だちの「サッチャン」も「声もよいし、歌もとっても上手。三線もいいね。私は、ふーみさん1人の方が楽しいかも」と喜んでいた。

 ライブを楽しんでいたら、一部の終わりに、サプライズが起きた。ふーみさんが「お誕生日の方がいらっしゃいます。古波蔵の花パパさん。古希を迎えられたそうでおめでとうございます」と紹介してくれた。

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 ツレがラジオリスナーネーム「古波蔵の花」だから、私は「花パパ」と呼ばれている。同じリスナーでライブ仲間のK&Kのかーずさんから、ケーキをいただき、7本のローソクを一息で消 した。

 サッチャンからの花束をはじめ、床屋のなおさん、ドラミさん、ドラミパパさん、ターミさん、それに今日はこれなかったがシングさんを含め、みなさんからプレゼントをいただいた。Img_4693 元日から風邪をひいて、誕生日は寝ていたが、やっと元気になりライブも楽しめるようになったところで、嬉しいサプライズだった。
 クラッシックのコンサートは、頭脳を研ぎ澄まして聞く感じがする。でもフォークやロックのライブは、身体で感じ、気分は高揚。精神的にもなんか若くなる。「健康第一でこれからもライブ楽しみましょう」というお祝いのメッセージカードの言葉通りやっていきたい。

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 古希を迎えて最初は「年をとるのは嬉しくない!」という気分だった。でも、考えてみると、親しい友人で、60歳代で亡くなった方が何人もいる。元気で古希を迎えたことは素直に喜んでいいかもしれない。ふーみさんにも、その旨伝えると、共感してくれた。

Img_4715  ライブ最後は全員、総立ちで踊り、私も年を忘れてその輪に加わった。Img_4705 リスナー仲間による古希祝いの模様をツレが、今朝RBCラジオで流してもらうと、他のリスナーからもお祝いのメールが相次いだ。

 沖縄に来て、こんなに祝ってもらったことはない。Img_4717 プレゼントの大きな紙袋を開けると、車用のシートクッションとブルドッグのようなこれもクッションなのか、いただいた。嬉しいね。ありがたく使わせていただきたい。





2014年1月23日 (木)

桜にはメジロ

 那覇市の漫湖公園もカンヒザクラが咲き始めた。散歩コースだ。今年は寒いのでやはり開花が早い。もう半数以上の木が蕾がほころび、咲き始めている。

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 桜には、メジロがつきものだ。でも、八重岳では、ついに一羽も見なかった。
けれども、この漫湖では、すぐに目についた。今日は、寒いけど晴れ渡って、青空から太陽が差している。メジロも寒いのは嫌い、太陽の日差しが好みなのだろうか

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 カメラを向けると、すぐ気づいたかのように飛び去ることが多い。このメジロも、羽ばたきをしている。Img_4671
 やっと捉えた。まだ花は少ないが、メジロはしっかりくちばしを花びらの中に入れて、蜜を吸っているようだ。Img_4670
 
 「さて、次はどの花びらに行くかな」と眺めている感じ。

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「花から花へ」次々に飛び回って止まる。Img_4673
 もう吸い終わった花は踏みつけにして次を狙う。

Img_4676_2 「もうこの木は終わりかな」。次の木を目指しているのだろうか。

 それにしてもメジロを撮影するのはかなれむつかしさがある。今回は、よく撮れた方ではないだろうか。

 メジロもだんだん少なくなっているのではないかと心配する。でも、「桜にメジロ」が見えて安心した。漫湖公園では、2月8,9日とさくら祭りが開かれる。その時分は、きっと満開だろう。

 桜の木の下で、アヤメかショウブかカキツバタかわからないが、そちら系の花も咲いていた。これって、大和では6月くらいの花だろう。秋桜も咲いていた。Img_4667
 まあ、沖縄は桜とともに、梅も秋桜もヒマワリも咲くのだから、アヤメが咲いても不思議ではない。「季節も花もチャンプルー」。

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