アメリカがアルカイダの指導者、ビンラディンを殺害した報道をテレビで見て、「これって、ドラマ24そっくりじゃないか!」と思った。アメリカのドラマ「24ーtwentyfour)にはまたっていた人は、きっとそう思うはずだ。
ドラマは、テロとたたかう米連邦機関CTUロスアンゼルス支局の捜査官・ジャック・バウアーの超人的な活躍を描く。荒唐無稽なようでいて、ドラマのストーリーや設定には、アメリカの現実、国際政治の動向が巧みに取り入れられて、リアリティがある。ドラマが始まったのは、2001年だから、例の9・11テロがあった年である。 使った写真は、文章とはまったく関係ない。
米軍放送で流されていた映像である。何時、どこの映像かもわからない。
どこが、ドラマとそっくりなのか。それは、なによりも、テロ集団を撲滅するためなら、どんな手段を使ってもよい、国際法など無視してよい。テロ集団は無差別殺戮をするから、これを防ぐためなら、違法手段だって許されるという論理に、徹底して貫かれていることだ。
ビンラディンの潜伏する場所を突き止めた情報の一部は、拘束中のテロ容疑者の鼻や口から大量の水を注ぐ「水責め」の拷問で供述させたと伝えられる。拷問で、テロリスト指導者の居場所を白状させるシーンが、繰り返し繰り返し出てくるのが「24」である。ジャック・バウワーは、違法な拷問を常套手段としているが、テロリストと闘うためには、止むをえないと割り切っている。議会から、拷問は違法だと、追及されるが、そんなことは度外視する。今回の、拷問を使ったことも、すべて米政府の承認なのだろう。結果よければすべてよしなのだろう。
作戦を実行したのは米海軍特殊部隊「シールズ」だという。隠れ家のレプリカをつくり、構造や間取りを完全に把握するためシュミレーションを繰り返した。ヘリコプター4機で急襲したという。「24」でも、テロ対策の特殊組織のようなCTUが、隠れ家を突き止めると、その構造、間取り、武器の保有から警備の配置まで、衛星画像など駆使して把握して、急襲する。「24」のシリーズでは、毎回、市街地の住宅に潜むテロ指導者を、ヘリも使って急襲する場面が必ず出てくる。そっくりだ。違うのは、ドラマはバウアーが超人的な働きをするところだけだ。
ビンラディンが武器を持っていなかったのに、殺害したという。もともと拘束する計画もなく、最初から殺害を狙っていたようだ。これも、「24」では、テロ指導者は殺害しても構わない論理で走る。
ドラマでは、たえずバウアーらの法を無視した無謀なやり方について、法と正義を唱えて、理性的に対処するよう求める人物がいるが、そういう人々は必ずテロ対策の妨害者と位置付けられている。今回のビンラディン殺害でも、パキスタン政府に事前に知らせず、他国で勝手に住宅を攻撃し、殺害するという無法なやり方にたいし、ホワイトハウス内で国際法に沿った対応を求める意見があったとしても、排除されただろう。
約40分間の作戦の一部始終をオバマ大統領らはホワイトハウスで見守っていた。現場からの映像を交えてリアルタイムで作戦司令室に伝えられた。殺害が伝えられた瞬間、オバマ氏は「仕留めた」とつぶやいたともいう。ドラマでも、バウアーらと大統領は直結していて、作戦を見守り、成功すると歓声をあげる。まったく同じようなシーンを何度も見た。
それだけドラマが、アメリカの現実をよく反映しているということだろう。ただし、「24」は一方でテロ対策の名でイスラム教徒への人権侵害を批判的に描いたり、イラクなどで民間軍事企業への戦争の請負化が進んでることを下敷きにして、民間軍事企業が巨大化してアメリカを支配しようとする危険を描くなど、現実にするどく切り込んだドラマ仕立てになっている。想像を超えるようなストーリーとドラマのテンポのよい展開で、見だしたら止められない、面白さがある。だからついつい見てしまう。
それはさておき、なぜ、ビンラディン殺害をここで取り上げたのかというと、米軍基地の集中する沖縄は、テロの標的にもなりかねない危険がわずかであってもあるからだ。2001年テロのさい、9月11日深夜に、普天間基地入り口に向かった琉球新報の記者2人が、海兵隊員にライフル銃を向けられ、「手を上げろ、車から出ろ」と命令された。取材だと言っても、無理やりカメラを奪って記録カードを抜き取る事件が起きたという。それだけ基地はピリピリしていたということでもある。今回も、米軍基地は、かなり緊張した状態にあるだろう、と想像する。
だから、テロの問題は、アメリカやパキスタンの出来事というだけではすまない面があるのだ。
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