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音楽

2014年2月10日 (月)

アルテで「肝がなさ節」を歌う

 毎月恒例のアルテ・ミュージック・ファクトリーの今月のテーマは「時」である。エントリーが14組と少ない上に、毎回トップの南亭こったいの落語が、腰痛のためにお休みとなった。

 なんと、今回のトップは私だった。選んだ曲目は「肝(チム)がなさ節」。題名は「心が可愛いでしょう」という意味である。

 民謡界のヒットメーカー、普久原恒男さんの作曲で、饒辺愛子さんが歌いヒットした。人気曲である。

 ファクトリーのあった2月8日は、7日から二日間、私の通う福祉センターは年1回のお祭り。6日の準備から含めて3日間、祭り要員として協力していたので、ほとんど練習ができなかった。

 でも、始めてみると、三線はテンポよく弾け、手拍子もいただき、気持ちよく歌えた。Img_4822_2 この曲は、1番では、彼の可愛がりは初めは肌の可愛がりだったけれど、時を年を重ねるたびに心の可愛がりになると歌い出す。時間を経るごとに愛情の深まりを歌っている。

 4番の歌詞では、世間は急流のように時の流れは速い、夢の間であっても互いに心で可愛がってこその世の中である、と歌う。「時」のテーマにあっているだろう。

 私の次は、なんとツレたちだった。ツレはいつも最後だったが、今回は1部にエントリーしたら、夫婦で1,2番ということになった。

 新田さんのギター、奥田さんのリコーダー、ツレのボーカルでSMAPの「夜空ノムコウ」を歌った。互いに忙しくてリハーサルは当日を含めて2回しかできなかった。Img_4830
 ギター伴奏だけの歌と違って、リコーダーが入ってとてもいい味わいを出した。ツレの声もよく出ていて、とてもリハ不足とは思えない演奏だった。

 今回は、飛び入りが多く、初めて参加の人も数人いた。嬉しいことだ。

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 有銘親子・友だち4人は、三線と太鼓・三板で宮古民謡など披露した。楽しい演奏だった。

 ストリートミュージシャンでいま沖縄滞在中という若者「ショウタロウ」(?)さんは、中島みゆきの「糸」と自作の曲を演奏した。路上の投げ銭を頼りに各地を回っているという。Img_4843 ブラジルからの留学生も、杉田園さんに連れられて参加した。空手家でいま滋賀大学で日本武道を研究しているとか。ギターも上手いので驚く。Img_4852
 さすがブラジル人だ。文武両道である。

 お馴染みのメンバーの演奏も楽しませてくれた。otis yoshiさんは、沖縄市で活動するミュージシャンだ。サム・クックの曲を歌った。Img_4851 彼はプロなのに、アルテでど素人の演奏にも、すごくよく聞き、ほめる。プロ的な人は、素人は相手にしない人がよくいる。そこが違う。

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 ギターの越智さん、小嶺さんのラテン曲の演奏には、ギターサークルのメンバーその他が打楽器で加わり、最高の盛り上がりだった。常連の人の姿が見えなかったのは寂しい。4月には100回の記念を迎える。盛り上げていきたいものだ。

 

 

2014年1月13日 (月)

アルテで「歌の道」を歌う

 2014年初のアルテミュージックファクトリーの今月のテーマは「新」だった。新春らしいテーマだ。といっても民謡には案外、テーマに合った曲が見当たらない。

 それに、元日の初日の出を見た後、風邪をひいてしまった。最初は軽い症状で甘く見ていたら、4,5日から急に悪化した。あわてて赤十字病院の救急外来に駆け込んだ。風邪で寝ていると、声が出なくなる。アルテに出るのは無理かなと思ったが、なんとか回復したので出ることにした。

Img_4521_2 毎月恒例の南亭こったいさんの落語は「ちりとてちん」。なかなか面白い。こったいさんは、役者を目指していただけあって、所作がとても上手い。食べ物を食べる所作など、堂に入っている。

Img_4526 久しぶりの出演は、比嘉正弘さん。井上陽水の「FuN」を歌った。三線もできるし、ギターをひきながらの歌も味わいがある。

 同じ歌三線仲間も玉那覇宗造さんは「勝連節」を歌った。

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 昔、野外で歌い踊り遊ぶ「毛遊び(モーアシビ)」が盛んだったころ、勝連は美人が多いことで有名だったので、北中城の和仁屋(ワニヤ)の若者たちは、ビーチの浅瀬を歩いて勝連まで通ったという。なぜビーチなのかというと、陸地を通ると、余所者が来るのを嫌って、途中で邪魔されるので、浅瀬を通ったそうだ。そんな情景が歌われる。とても面白い歌だ。 ぜひ毎月出て、歌三線を聞かせてほしい。

 私は前川朝昭作詞作曲の「歌の道」を歌ってみた。この曲は、歌を習い、歌っていくことの素晴らしさを歌っている。教訓歌でもある。

Img_4533_3 「歌てぃ語やびら 御万人ぬ胆に 謡の節々に 心込みてぃ」と歌いだす。「民謡を歌っていこう、たくさんに人々の心に 曲の節々に 心を込めて歌おう」というような歌意である。

 歌は、普段より一度下げて歌ったので、なんとか声が出た。でも三線がまるっきりだめ。バチが指から滑り落ちる。最悪の出来だった。

 今回着た長袖シャツは、古希を迎えてお祝いにツレがプレゼントしてくれた。

 

 ギターの名手、与那嶺新さんが今回も出演してくれた。Img_4539
 「最後のトレモロ」という曲を演奏。みんな聞き惚れる。3月23日にアルテ赤田ホールでコンサートを開くことが決まったとか。たくさん聞きに来てほしい。

 今回のファクトリーはエントリーが15組と少なかったが、飛び入りもあったので、にぎやかだった。
 ツレはピアノで「星に願いを」と「渚のアデリーヌ」を演奏した。Img_4550

練習時間がとても短かったので、本人も心配したが、途中一度止まったけれど、落ち着いて弾ききった。短い練習でも、これだけ弾けたと思った方がよいのでは。「渚」は3度目だったけれど、やっぱり弾くたびに余裕ができて演奏がよくなっているようだ。

 1月11日は主宰者の越智さん誕生日。ギターサークルのメンバーがバースデイケーキを準備して、サプライズでお祝いした。越智さんも嬉しそう。Img_4553 何歳になったのか「秘密」というが、なぜかみんな知っていた。65歳だとか。お元気で。

2013年12月15日 (日)

アルテで「時代の流れ」を歌う

 毎月恒例のアルテミュージックファクトリーの今月のテーマは年の暮れだから「年」。嘉手苅林昌が戦後、バス停で待っている間に創ったという「時代の流れ」を歌った。

Img_4268              ギターサークルの演奏


 これを選曲したのは、年が重なり時代がつくられるから。それと歌詞の中に「九年母(クニブ)」が出てくる。ミカンのことだ。
 ただ、歌詞は元歌ではなく、復帰の後につくられた「新時代の流れ」である。
♪唐ぬ世から大和ぬ世 大和ぬ世からアメリカ世 ひるまさ変わたるこの沖縄
♪アメリカ世や嫌(ガマ)らんりち 又ん大和世成いびたしが 
  何がましやらむる解らん
♪銭や円からドルに成て またん円に成いびたしが 変わるか度損るする
♪車あ昔え右通り 今や左るる通やびん 何時ぬ何時までん戸惑ぬう
♪山や昔えウチナー物 九年母ん苺(イチュビ)ん取らりたしが
  今や基地成てアメリカ物
♪海ん昔やウチナー物 我達や何時やて入らりたしが 今やリゾート勝手なてぃ
♪変わい変わたる事やしが 何時ん変わらん基地ぬ島
 何時か変わゆがましなゆがImg_4259

 意訳すれば次の通りである。
♪中国に服属した世から日本の支配の世になった さらに日本の世からアメリカ統治
 の世になった 不思議に変わってきたこの沖縄だ
♪アメリカ統治は我慢ならない世だった また復帰して日本に戻ったが
 何がよくなったのかよくわからない
♪通貨は円からドルになり またも円になった だが通貨が変わるたびに損しているよ
♪車は復帰して右通行から左通行に変わった いつまでも戸惑うことだ
♪山は昔、みんな沖縄のものだった ミカンも野イチゴも取り放題だった 
 いまは米軍基地にとられてアメリカ物になってしまった
♪海は昔、沖縄のものだった でれでも自由に入ることができた いまはリゾートホテル
 に勝手に使われている
♪世の中は変わり変わってきたけれど 何時までも変わらないのは基地の島
 という現実 何時か変わるだろうか もっとましになるだろうか

 演奏してみると、早くなってしまう。もっとゆっくり弾きたいのに、思い通りにならない。
「こんな歌詞があったのは知らなかったですね」との感想があった。

Img_4280 ツレは前回とその後のシニアピアノコンサートで演奏した「渚のアデリーヌ」が満足に弾けなかったので、このまま年は越せないからと再度、この曲に挑戦した。なかなかピアノがよく鳴っていたと思う。

 今回、トリをつとめたのは、今帰仁在住のクラシックギターリストの与那嶺しんさん。ツレがフォーク歌手・ふーみさんのライブでたまたま知り合い、演奏できる場を探しているというので、アルテを紹介したら、駆けつけてくれた。東京で10年間、先生について習っていて、1年前帰ってきたという。Img_4283 「バッハのアンダンテ」を演奏した。「アンコール!」の声が飛び、それに応えて「椿姫幻想曲」を演奏した。オペラ曲をギター演奏用に編曲したもの。どれも素晴らしい演奏で、魅了された。

 その他、顔なじみの面々が自慢の演奏を披露した。

 

2013年11月24日 (日)

第30回芸能チャリティー公演で演奏

30回芸能チャリティー公演が1123日、那覇市民会館で開かれた。わが民謡三線同好会も出演した。隔年の出番なので2年ぶりである。

 赤い羽根共同募金運動への協力公演だ。今年は30回目の節目となる。よく知らなかったが、第1回から17回までは、八重山民謡の唄者である山里勇吉さんの主導のもと、各芸能者が賛同して開かれていた。第18回から、老人福祉センター・憩いの家の利用者と講師の協力で実施されるようになったとのこと。Img_4074



 
 今回のテーマとして「子どもと高齢者」が触れ合う舞台の雰囲気づくりを心掛けたとか。それは、われわれの出番でも、実践された。

 舞台は「かぎやで風節」の斉唱と踊りで幕を開けた。演目は合計27にのぼる。踊りからレク体操、歌三線、カラオケ、フラダンス、太鼓など多彩な芸能が披露された。

 民謡三線同好会は、毎年二つの老人福祉センターが共同で出演する。演奏曲目は「恋の花」「デンサー節」の2曲。2つのセンター合同で総勢50人ほどとなった。それにお琴、太鼓など加勢をしてもらった。
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 緞帳が上がり、舞台にライトがついたとき、演奏開始するという約束で、リハーサルもしていた。ところが、場内アナウンスで、紹介が終わり、緞帳が上がり始めた途端、演奏を始めた人たちがいる。完全なフライングである。でも始まった以上はやめられない。最後まで演奏を続けた。

 始まると、よく揃っていて、声も出ていた。上出来だったのではないだろうか。仲間の間でも「よかったよ。ちゃんとついてきてくれたから」との声があった。Img_4081

 今回初めての試みとして、われわれ高齢者の歌三線が終わった後、舞台にそのまま残り、そこに當間清子歌三線・民謡研究会の子どもたち、先生を含めて10人が登場した。三線を奏でながら「新デンサー節」を歌った。そのバックで、高齢者がみんなで手拍子をしながら、声をそろえてお囃子を歌った。とてもよい演奏と雰囲気だった。Img_4088


 子どもたちの歌三線は、登場するだけで、聴衆のおばあ、おばさんたちから大うけだ。「会場の雰囲気が一変した」とはツレの感想である。試みは成功したようだ。

 わが同好会から90歳を先頭に80代、70代、60代合わせて30人余りの参加だった。「楽しく演奏できましたか」と初参加の女性に尋ねると、「とても楽しくできましたよ。次からは歌詞をよく覚えてやります」との答えが返ってきた。まだ覚えていない人は、前に座った人の背中に、歌詞を張り付けてカンニングをしての演奏だった。


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 みんなが1年間、がんばって練習してきた成果を発表できた。次は、来年2月の地域福祉まつりだ。それに向けてまた頑張りたい。

2013年11月18日 (月)

ツレが「渚のアデリーヌ」を弾く

 ピアノを習っているツレが、シニア・ピアノコンサートで、リチャード・クレイダーマンのヒット曲「渚のアデリーヌ」を演奏した。このコンサートには、昨年に続き2回目だ。

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 ピアノを習い始めてまだ1年7カ月。昨年に続いて2回目の出場である。

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 ポップスを演奏する人、ショパンなどクラッシックを演奏する人、独奏から連弾、集団での演奏までそれぞれ、日頃の練習の成果を発表する場である。ほとんど中高年である。

 けっこうミスも多い。でもみんな必死で演奏するのがよい。

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 ツレの演奏した「渚のアデリーヌ」は、まだ1年7カ月にしては難しい曲だ。でも、よくメリハリがきき、流れもよくて、ミスしてもあわてずに、落ち着いて弾いた。身びいきかもしれないが、この日の演奏では、ベスト3に入るのではないか、と思った。

 沖縄市の「あしびなー」の会場には、大阪から妹夫婦がわざわざ聞きに来てくれた。さらに、アルテの音楽仲間やラジオリスナーの友達など応援に駆けつけてくれた。

 みんな口をそろえて「とってもよい演奏だった」「落ち着いて弾けていて、とても1年半とは思えない」との感想が寄せられた。

 毎日、3時間の猛練習のたまものだ。練習は裏切らないとはよく言ったものだ。この1年間でとてもレベルアップしたことがよくわかる。来年からは、クラシックに挑戦することになるだろう。

2013年11月17日 (日)

祖慶漢那(スウキカンナ)節は面白い

祖慶漢那(スウキカンナ)節は面白い

 

 沖縄民謡のなかに、県内各地の特産品が登場する曲がある。その典型がスウキカンナ節である。本島の各地の産物を売り手が売り込む様子が描かれている。

 

1、祖慶漢那 金武からやいびしが 我(ワ)んソーキん小(グヮ)
 
買(コ)うみそうれえ 汝がソーキん小や 曲(マグ)いぬ悪(ワッ)さぬ 
 
我んミージョウキ 買うみそうれえ

 

2、我んねえ勝連(カッチン) 照間(ティルマ)どやいびしが
寝座敷(ニザシティ)筵(ムシロ)を 買うみんそうらに
汝が筵ん小や 縁織(フチウ)ち悪なぬ
 我んニクブク小 買うみそうれえ

 

3、越来間切(グイクマヂリ)ぬ 上地(ウイチ)どやいびしが 荒バーキや
 
 買うみそうらに 
汝が荒バーキや どくから荒さぬ 我んユナバーキ
  買うみんそうれえ

 

4、山内諸見里(ヤマチムルンザト)ぬ 桃売(モモウイ)アン小やいびしが
 
 山桃(ヤマムム)小や 買うみんそうらに 
  汝が山桃小や
  青さぬ喰(カ)まらん 我ん白桃(シルムム)小
 買うみんそうれえ

 

5、我んねえ糸満(イチマン) 魚売(イユウイ)アン小やいびしが
 
 グルクン小や 買うみんそうらに
 汝がグルクン小や 匂いぬ高さぬ
 我ん飛烏賊(トボイチャ)小
 買うみんそうれえ

 

6、我んねえ本部(ムトブ)ぬ 瀬底(シイク)どやいびしが
 
 ムンジュル笠小 買うみんそうれえ
 汝がムンジュル笠小や
 張(ハ)いよぬ悪さぬ 我んクバ笠小 買うみんそうれえ

 

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         バーキを担ぐ人(上江洲均著『沖縄の民具と生活』から)
 

 意訳した歌詞は次の通り。

1、祖慶漢那、金武から参りました。ザルを買いませんか。
   あなたのザルは曲がり具合が悪い。私のミノザルを買いませんか。

2、私は勝連、照間から参りました。寝座敷用のムシロを買いませんか。
   あなたのムシロは縁の織り方がよくない。私のニクブク
 (藁で編んだ敷物)を買って下い。

3、越来間切(今の町村)の上地から参りました。粗目の竹カゴを買いませんか。
 あなたの竹カゴはあまりに粗すぎるので、私の(米を入れられる)カゴを買いませんか。

4、山内、諸見里の桃売り娘ですが、山桃を買ってくれませんか。
 あなたの山桃はまだ青っぽくって食べられない。私の白桃を買ってください。

5、私は糸満から来た魚売り娘ですが、グルクン(県魚になっている)を買いませんか。
   あなたのグルクンは匂いが強い。私の飛びイカを買ってください。

6、私は本部の瀬底島から参りました。ムンジュル笠を買いませんか。
 あなたのムンジュル笠は張り具合が悪い。私のクバ笠を買ってください。

 この曲は、最初は売り手と買い手の会話の情景を歌ったものかと思っていた。でもそうではないという。売り手がお客に対して、自分の土地の物産を進めると、そばで別の売り手がその物産にケチをつけて、自分の持っている物産を売り込むというストーリーの曲である。沖縄でも、売り手、商人の競争が激しかったのだろう。あれこれとケチをつけるところが面白い。 

 この曲は、昔の沖縄の各地域ごとの特産品が歌われているので、それぞれの地区でどういう特産品があったのかが、よくわかる。

地名が二つ重ねるように歌われているのはなぜだろうか。アルテ三線仲間の玉那霸さんによると、沖縄には同じ地名があるので、近くの地名を付けて表現することによって、これはどこの地名だということが分かるという。たとえば、「照間」「嘉数」「与儀」「大里」「南風原」「勢理客(ジッチャク)」などなど同じ地名のところが複数ある。

 これも、前は市町村名と字名というように、大きい地域と小さな地域を重ねて名乗って

いるのかと思っていた。そうではない。なかには、本部の瀬底というように、大きな地名とその中の地名という関係もあるが、一般には二つ重ねていうことで、場所がはっきりするということらしい。
 
 この曲は、本調子の早弾きと三下げのゆっくりしたテンポの両方がある。亡くなった登川誠仁と知名定男が歌ったCDを聴くと、はじめ三下げで弾いた後、女弦(ミージル)を上げて本調子にして、一転軽快に弾いていた。

 なお、歌に登場する民具について、別途詳しく書いておきたい。

 ユーチューブに知名定男のデビュー当時の演奏があるので、アップしておく。

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2013年11月10日 (日)

アルテで「瓦屋情話」を歌う

 アルテ恒例のミュージックファクトリーの今月のテーマは「美」。「人に勝って美しく生まれた」女性の哀しみを歌った「瓦屋(カラヤ)情話」を歌った。

 「瓦屋情話」は、16世紀に中国から琉球に来て瓦焼きを伝えた瓦職人の逸話にかかわる曲である。王府は琉球にとどまることを要望した。瓦職人は、見染めた女性を妻を迎え、永住したいと申し出た。白羽の矢が立ったのは、豊見城の夫がいる女性だった。王府の命令で彼とは生き別れになった女性が、故郷の彼をしのぶ内容である。瓦焼の始まりについては、ブログでアップしてあるので、そちらを見てほしい。Img_3920

 歌詞は次のような内容である。

♪人勝い清らしゃ 生まりたる故に 色ちかんカナに 見染みらりてぃ 繰り返し
♪めでい事寄してぃ あかん生ち別り 浮世恨みとてぃ 行ちゅる苦りしゃ 繰り返し
♪あだし世ぬ中ぬ 無情ぬあだ花や 朝夕ちみらりてぃ 胸や焦がり 繰り返し
♪我胴や瓦屋村 肝や里御側 忘てぃ忘ららん 里が情き 繰り返し
♪瓦屋頂登てぃ 真南向かてぃ見りば 島浦どぅ見ゆる 里や見らん 繰り返し

 歌意は次の通り。
♪人より美しく生まれた故に 好きでもない男に見染められて
♪奉公を命じられて 心残りのまま生き別れとなり 浮世を恨んで生きてゆく苦しさよ
♪恨む世の中で 情けないあだ花は 朝夕囲い込まれて 胸は焦がれるばかり
♪わが身体は瓦屋村にあるけれど 心は貴方のお側にある 
 忘れるに忘れられない 貴方の情け
♪瓦屋の頂きに登って 南に向かって見ると 故郷の村は見えるけれど 
 貴方の姿は見えない

 5番は、有名な琉歌で古典の名曲だが、あとは1970年代に作られた歌詞と民謡である。今回は、三線はあまり手が強張らずに弾けた。ただ、歌に入ると一番の歌詞の後半で、歌詞が飛んでしまい、省略して歌ってしまった。でも、聴くほうは気がつかないみたいだ。
 「初めて聞いたけれどいい曲ですね」と感想を寄せてくれる人がいた。

 ファクトリーは今回、飛び入りもあり20組ほど演奏した。恒例となった南亭こったいの落語は、「天狗裁き」の演題。話が面白く、大受けだった。

 Img_3914
 このところ何カ月もごぶさただった上原敏明さんが久しぶりに出演。「風」の「海岸通り」をしっとりと歌い聴かせた。Img_3926 ギター名手によるカルテット「ふぇーぬかじ(南風)」は、ロシア民謡メドレーとラテンの名曲「ベサメムーチョ」をスイング調で演奏して、楽しめた。

Img_3929

 先月、美味しいゴーヤーチャンプルーと楽しいカラオケに誘ってくれた浦添の伊波さんは、いつものようにオリジナル曲を披露した。

 Img_3933
 ツレは、17日のシニア・ピアノ・コンサートで演奏するピアノの名曲「渚のアデリーヌ」を弾いた。ポップスの曲とはいえ、まだ初めて1年7カ月で弾くのには、かなれ難しい。でも、しっかり、メリハリもきかせて、美しい曲の魅力を伝えた。
       Img_3939_2  不思議なことに、前日のリハーサルでは完璧に弾けたのに、本番では2,3度つまづいた。でも、全体がよく演奏できていたので、たいして気にならない。ただ本人は、すごく落ち込んでいた。でもそれが本番というもの。

 回りからは「とってもいい演奏だった」「とても1年7カ月とは思えない」「前に聴いたより、すごく上手くなっている」と好評だった。   

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 ファクトリーは今回から、演奏会の途中に、食事を出すことになった。そのためもあるのか、演奏中におしゃべりが多く、出番がまだ来ないため、ギターの練習をする人もいて、雑音がひどい。自分が演奏する時、雑音を出されると誰もがいやなはず。お互いに、他人の演奏を良く聞き、自分の演奏も聴いてもらうという、当たり前のルールを守ってほしい。

 

2013年10月28日 (月)

放浪の唄者・里国隆

 奄美諸島と沖縄を放浪した盲目の唄者・里国隆(サトクニタカ)さんのことを知ったのは、「琉球新報」2013年10月4日付けの小浜司さんの書く「島唄を歩く」だった。

 路頭で竪琴を鳴らして歌い、樟脳(ナフタリン)を売る。奄美大島の笠利町の生まれである。生後8カ月で失明し、うた、三線を習いお覚えた。12歳の頃、本土から来た物売り行商の老人が竪琴を弾きながら樟脳を売るのを見て、ついて行き、竪琴の弾き方、作り方を学んだという。Photo

 17歳で奄美諸島から沖縄へと行商と漂泊の旅を始めた。戦後は、1947年に沖縄に渡り、以後17年にわたり沖縄の島々、土地を放浪したそうだ。

 昼間は、カンカラを前に竪琴を弾き、夜は盛り場を流した。津軽三味線の高橋竹山を想起させる。

 記事に写真が掲載されている。竪琴と言えば、かつての映画「ビルマの竪琴」を思い出す。でもそんな小さな琴ではない。普通、床に置いて奏でるお琴そのもの。これを縦に立てて抱えて弾いている。「ええっ、これで琴が弾けるのか!」と驚く。どうにも想像を超える。

 実際の演奏を見てみたい。そうなれば、「ユーチューブ」で検索するしかない。検索すると、里国隆の映像のない音源を聴くことができた。でもそれは、どうみても、竪琴ではなく三線の音色だった。三線も上手だ。

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別の動画を探すと、里国隆の後継者の映像があった。国隆の竪琴の音色に魅入られ、今では、制作、販売、演奏もしている盛島貴男さんである。竪琴は、通常のお琴よりは少し短い。だが、それを左手で抱え,膝の上に置いて、右手で弦をかき鳴らす。左手で弦を押さえる弾き方ではない。琴を抱えた左手は、指が空いているので、沖縄の三板(サンバ)か、カスタネットのような打楽器を持って、それでリズムを打ち鳴らしている。

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 これでやっと、竪琴の演奏の様子がわかった。

 「哭き唄」と評された、国隆の唄は、独特の魅力がある。通常の奄美の島唄とはちょっと異なる。魂の叫びのようだ。

 奄美の音楽は、沖縄とはまた違った色合いと魅力がある。

2013年10月25日 (金)

声楽による「トゥパラーマ」を聴く

 アルテに集う音楽仲間である糸数剛、秀子夫妻が参加する声楽同好会の発表会がパレット市民劇場で開かれて聴きに行った。

 素人を自称する声楽好きが、毎月2回、アルテ・ホールに集まり、安冨祖貴子先生のピアノ伴奏にのせて独唱を楽しんでいるという。多くは定年後世代のようだ。発表会は3回目になる。

Img_3783 糸数秀子さんの「サルビア」でスタートした。今回の聴きものは、糸数剛さんが歌う八重山の名曲「トゥパラーマ」である。

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 ピアノ伴奏用に特別に編曲してもらったそうだ。オペラ歌手による「トゥパラーマ」である。民謡とは歌い方が異なるが、のびやかなテノールを場内に響き渡らせた。民謡とはまた違う、味わいと魅力があった。

 秀子さんの囃子も、とても高音が美しく出ていて、息も合っていた。

 ハプニングが起きた。2番が終わったところで、ピアノも終わる仕草が見えたので、みんないっせいに拍手した。糸数さんは、まだまだの合図をする。そのあと3番を歌いきった。
糸数さんも初めての挑戦だったそうだ。糸数さんは糸満の古くから歌われている「ハーレー歌」のコンテストにも出て優勝した実績がある。オペラから民謡、演歌まで歌いこなす。さすがである。

 2部で歌われた曲で、ちょっと注目したのは「君と旅立とう」。伴奏が始まってから「おや、なんか聴いたことがある」と思った。歌い始めると、すぐわかった。「これはtime to say goodbyeじゃないか」と思った。サラ・ブライトマンとアンドレア・ボッチェリが歌い世界的に大ヒットした。

 後で調べてみると、イタリアの作曲家フランチェスコ・サルトーリが作曲し、イタリアの題名は「con te partiro」で「君と旅立とう」という意味。曲は同じで、題名が異なるだけだった。

 Img_3798
 糸数さんは2部ではオペラ「ボエーム」から「冷たき手」を歌った。糸数さんと双璧といえるのが、2部で最後に歌った花井玲子さんの「白銀の月よ」(オペラ「ルサルカ」から)。女性にしては声が低いが、この名曲を見事に表現して、「ブラボー」の声がひときわ高かった。

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 9人がそれぞれ、1部、2部と異なる歌を披露した。歌のレベルはバラツキがあり、中には歌詞が途切れて、もう一度やり直す人もいた。

 でも、みんな音楽を愛し、とくに声楽を愛し、日ごろの練習の成果を精一杯表現しようとしている姿はすがすがしい。

 Img_3803 1部、2部の最後には「えんどうの花」「カロ ミオ ベン」をみんなで歌った。楽しいコンサートだった。
 

 発表会に誘ってくれた糸数さんに、ツレは花束を贈った。

 

2013年10月21日 (月)

初めてのライブハウスМОD’S

 沖縄のライブハウスの代表格といえば、北谷にある「ライブハウスМОD’S」。初めて出かけた。Img_3692


 沖縄を代表するスーパーギターリスト、良明さんのバースデイライブがあるからだ。

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 ライブ名は「とことん良明」になっていた。日ごろ、ふーみと良明のフォークユニット「F&Y」でのライブを見に行っている。良明さんは、沖縄の名だたるミュージシャンをサポートしているが、今回は、F&Yをベースにしたライブになるらしい。

 Img_3706 良明さんの51歳の誕生日だ。なぜか、相方のふ-みさんは52歳と思いこみ、「良明さんの52歳のバースデイライブです」と高らかに宣言したが、本人は「51歳ですー。数えでいえば52だからいいけど」と訂正した。間違った理由は、「22歳の分かれ」という曲の歌詞を変えた「52歳の分かれ」という曲を歌うので、いつの間にか「52歳」と刷り込まれたようだ。

 前半は、いつものアコースティックなF&Yで、最初からリクエストに応えながら歌った。

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 糸満の「風は南から」で応援しているメンバーを中心に女性陣が最前列に陣取り、熱いエールを送り続けた。

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 後半は、キーボード、ドラム、ベースを加えたバンド編成で得意の曲を次々に歌う。F&Yでは、もう聴きあきるほど聴いている曲が、バンド編成の演奏で聴くと、迫力が半端ない。音響装置もさすが、「МОD’S」だけあって、音量もド迫力。日ごろ聴いている演奏とは、まるで別の曲を聴く感じがするほどだった。

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  なかでも良明さんが、大ファンだったフォークグループ「NSP」を3曲続けて演奏した。「夕焼け」「コンクリートの壁に挟まれて」など。30年来の念願だったとか。「もう思い残すことはない」と冗談を言うほどの熱の入れようだ。
 「えっ、これがフォークなの? ロックじゃないか」と思うパンチの聴いた演奏。NSPは当時、「マイナーロック」とも呼ばれたそうだ。ロックのようなギタープレイだからこそ、良明さんも魅力を感じたのだろう。プログラムのトリにふさわしいライブだった。

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 演奏が終わると、次々にバースデイプレゼントが渡された。お酒大好きな良明さんだけに、プレゼントは、ビール一ケースやワインなどほとんどアルコール類ばばかりだった。でもやっぱり嬉しそうだ。Img_3729

 アンコールに応えて、「春雷」「落葉」「夢の中へ」になると、ステージ前で総立ちになっての踊りで幕となった。

 良明さんのギタープレイに酔いしれるひと夜だった。

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 こんな極上のライブを身近で聴けるところに、沖縄のディープな魅力がある。

  

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