浦添歴史の道、史跡が多い
歴史の道、史跡が多い
「歴史の道」は、さすが浦添が古都であり、首里城からも近いだけに、由緒ある史跡が多い。でも案内板で紹介されている史跡でも、まだ実際に見たことがない場所もいくつかある。とりあえず、「歴史の道 中頭方西海道」の案内板にそって、写真と説明がある史跡を紹介しておきたい。
「中頭方西海道」は、琉球王朝時代に、首里王府からの令達などのために使われた宿道。首里城を起点に平良、大名を通り、浦添市の沢岻、経塚、安波茶、仲間、牧港を経て読谷に至る。北の恩納、国頭方面につなぐ主要道路だった。
伊祖の高御墓(イソノタカウハカ)
英祖王は、天孫氏の末裔とされる伊祖城の恵祖世の主の子であり、舜天王統の義本王から禅譲を受けて英祖王統を築いた。13世紀から14世紀にかけ5代90年にわたる王統だった。
この墓は、英祖王の父、「恵祖世の王」(エソヨノヌシ)の墓と伝えられる。崖下につくられた古い形式の墓。県指定有形文化財(建造物)。
英祖王は、浦添ようどれに葬られている。
浦添御殿(ウラソエウドゥン)の墓
沢岻(タクシ)には、第二尚氏の第14代国王、尚穆(ショウボク)の子・朝央(チョウオウ)を元祖とする浦添間切総地頭を務めてきた浦添御殿(王家の分家)の墓がある。
尚穆王、尚温王の摂政を務めた朝央を葬るために造られた。浦添御殿の歴代の墓になっているという。
造営は18世紀と推定され、亀甲墓としては市内最大級を誇る。市指定文化財(史跡)
墓は沖縄戦で大きな被害を受け、修復をしていた。
ここは以前、沢岻を散策したとき、まだ工事中だった。2012年に往時の姿がよみがえったそうだ。
当山の石畳道
首里から普天間宮への参拝道。宜野湾間切が新設された頃(1671年)に整備されたと考えられている。市指定文化財(史跡)。こちらにも立派な石橋があるようだが、まだ残念ながら見ていない。そのうち行く機会があるだろう。
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